はじめまして☺️

心と脳を繋ぐ伝播塔 人生の燈セラピスト山内

です!!

ブログを見て下さり、ありがとうございます😊


私がこのブログを始めたきっかけを含めまずは

自己紹介から書いていきたいと思います。



自己紹介①



私は長女として生まれ、理由はわかりませんが

産まれた時から父がおらず、母と2人小さな

アパートで暮らしていました。

父親の顔も記憶もありませんが、母はいつも

父の話をする時は素敵な人だったと話して

いた事は覚えています。



母はプライドが高く、男っぽい性格であり

シングルマザーだからバカにされたくない!

とゆう思いが強く、特にしつけには厳しく

育てられてきました。



母にも兄弟がいましたが、疎遠状態であり

頼る身よりもなく、同じアパートに住む当時

私からするとおばあちゃんぐらいの年齢の

方が、私の面倒をよく見て下さり、母親以外

で唯一あまえられる場所でした。



小学生時代の私は大人しめであり、どちらかと

ゆうとはっきりと自分の意見を言えないタイプ。

元々の性格なのかはわかりませんが、いつも

「お母さんの言う事を聞いていたら間違いない

から!」「しっかりしないと母子家庭だからってみんな結果だけを見て好き勝手言うんだから!」

と何か事がある度に言われてきました。



あまり母親から褒められた記憶はありませんが、周りから「かなちゃんは偉いね。」と言われると母が嬉しそうにしていた事は覚えています。

この時から、私が良い子でいたら母親は喜ぶんだと洗脳されていた私もいます😂

今思うとこんな時から他人軸を学んでいたのか?!とも思います。



当時の私は母親には「何を言っても聞いてもらえ

ない。」「怒らるぐらいなら言わない方が良いや。」と思い自分の気持ちに蓋をしていました。



逃げ場の無い私だったので、母親の機嫌が良ければ私は楽しく過ごせる!と思い始め、母親の理想

の娘になろうと思い始めたのもこの頃かもしれません。本当は甘えたかったし、わがままも聞いて欲しかった。当時の私はこれができずに、人に頼る事もできず、大人になるまでその事に気づく事もなく生きてきました。



当時の母は「しっかり育っている!私の言う事も聞いて立派な娘!」そう思っていたと思います。

周りからもしっかりしていて、ぐれていない普通の子に見えていたのではないかと思います。



当時の母親は私には社会に出て苦労させたくない、父親がいないとゆう偏見を感じさせたくない

とゆう強い思いが強かったんだと思います。

宇宙からしたらそれも愛であり、私には必要な

経験で、今は宝になっていると思っています。



そんな母親も私が高学年の時に乳がんになり

入院する事になり、私は近所の家に預けられ

ることになります。

以前から可愛がって面倒を見てくれたおばあ

ちゃんの様な存在だったので、私は母親が入院

中も特に寂しかった記憶は無く、あまり母親の

病気を理解していなかった事もあり不安や心配

もあまり感じずに過ごす事ができていました。



無事に手術も終わり退院することができましたが、母親はますます自分が病気になった事を

きっかけに、私が1人でも立派に生きていける

ようにとしつけに拍車がかかるようになります。



「あんたの為を思って無理言って早く帰ってきたの。おばちゃんにも長い間お世話になったら迷惑でしょ!」と。

私は楽しく過ごしていたので「えっ?迷惑だった

の?」と子供心に私は「人に何かをして貰うと

迷惑がかかるんだ」とゆう認識が植え付けられ

ました。じゃあ〜誰に頼るんだよ〜!って話しですが、もうこの時から頼り方や甘え方がわからず我慢する事が得意になっていました。



そして何かあれば母親には「かなちゃんがいたから仕事も限られるしできなかったのよ。」など、私がいるからとゆうセリフが多く、「私がいるから色々できなかったんだ。お母さんは我慢しているんだと。」罪悪感を感じ、「私がお母さんを幸せにしないと。」と思う様になり、自分の人生で無く母親優先の人生を歩むきっかけになっていたと思います。

もっと自分優先でいいんだよ!笑って楽しんで

いいんだよ!と、過去の自分に言ってあげたい

です🤣



そして私が中学に進学する時、音信不通に

なっていた母親の弟夫婦と関係が修復。

それをきっかけに弟夫婦の家の近くに引越し

をすることになります。

母親は私を思い、何かあれば弟夫婦が助けに

なってくれる事を思い、弟夫婦と関係を改め

引越しの決意をしたのだと思います。



引っ越し?やだ!と友達と離れる!っと

思っていましたが、当時の私は記載した通り

自分の気持ちが言えない私だったので、反抗

する事もなく引越しをすることになります笑!


後々引越しをした事が私の人生を大きく変えた

事になります。



中学は友達が1人もいない所からのスタート。

不安でしたが、幸いな事に友達もすぐにでき

楽しい学校生活を送る事ができました。

そして高校進学も自分で行きたい高校に行く

事ができ、看護師になる道を進む事になり

ます。 



高校では真面目な性格な私はそれなりに3年間

勉強し、悪く無い成績だったので高校3年生の

時には希望した看護学校の推薦をもらう事ができ

無事に看護学校に入学する事ができました。



看護師になろうと思ったきっかけは、これと

言ったものはありませんが、母親が入院して

いた時の看護師さんと看護学生さんが凄く良く

して下さり、母親も感謝していました。



自分の中で私も人の為にやってみたいとゆう思い

があり、看護師の道を選んだきっかけかなと

おもいます。



推薦を貰えたのも、進路部の先生のおかげでも

あり、この高校に行っていなければ違う道を

進んでいたかもしれません。

そして私の人生遡ってみたら、この看護学校での

出会いが今の人生につながる出来事が沢山あり

ます。

あの幼少期の引越しは必然だったんですね。



看護学生時代からは次に続きます☺️



長いのにお読み頂きありがとうございます😊