若気の至り
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批判。いや非難か。

自分は割と本を読む人間であると自負している
あくまで「割と」である
ただ自分の読書の方法はかなり非効率的であると思う



世の中にはある著者に深い感銘を受けて、ハマる人間は大勢いる



勝間和代さん信者=カツマー
内田樹さん信者=タツラー
とか?



日本人作家に捕らわれず海外作家にハマる人だって多いことだろう



自分はそうではない



飽きっぽいからね



ハマることも時には必要
と言うよりかハマらなければ(何冊か読まなければ)著者の真意はなかなか理解できないのではないか
とも思う



がしかし自分はそうではない
執着心がないのだろう
だからこそ読んだ本の内容は片っ端から忘れる



無駄な時間を過ごしているようにも思える



前置きはこの程度にしておいて



本題
自分はよく本を読むとただの学生の身分でありながら著作や著者の批判をし、自己完結することが多い
頭の中でね
コイツはこういうところがダメだ、言い回しが悪い、著者はこういう人間だからこういう世界観を擁しbiasにかかっていることに気付いていないetc・・・



最近気付いたことだが
俺が批判する著作や著書は自分に似ている(偉そうに言いやがって俺(笑))



よく母にはなだめられるが
ハタチそこそこの人間が自分のことをわからなくて当然
いつか何者かにならなくてはならないという強迫観念に捕らわれているのではないか?
現代のマスコミがそういう風潮を助長している部分が悪い
勉強をすることは大事だしむしろ進んで学びなさいと言いたい、ただ人生というものは自分自身が身に付けた力でどうにかできる部分は限りなく少ない



などと



もちろん今の俺にはそれの真偽は判断できない
親の小言は聞いておくべきと思い記憶の片隅には常に置いているつもりだが



また少し脱線したが
自分が自分に似た人間を批判対象にしていることに気付いたことは収穫である
と思う



つまり自分は無意識のうちにまだ自分自身に納得できていない
あるいは理想の自分には程遠い
更に言えば有名な著者であり俺の倍かそれ以上の経験をし、権威や地位を得た人間を自分と似ているとみなし、それを批判あるいは非難しているということはつまり自分の理想像は母の言う何者と言うよりも遥かに高いものであるということである



自分で書いていて思い上がりにも程があると思うが
過去や現在の自分の自堕落な様子を目の当たりにし、後悔の念が強い分、将来の自分のあるべき姿を過大に期待している部分は否めない



しかしその方法論や目的意識が未だ漠然としているため
同じように読書に勤しみ無駄な批判を繰り返す行為を再生産することでしか前進できないのが現状だ



2010年は自分の殻を破る起爆剤ともなるイベントが起こるのだろうか



そう言った意味での外部の圧力が必要なのかもしれない



人生は思っているよりも他者に導かれる要素が多いのだから・・・

涙もろい

最近泣いたこと
アバターを見て映像・効果に圧倒され、泣いた
内容にではない

フィギュアスケート高橋大輔選手の演技終了後、メダル確定の瞬間

同フィギュアスケートキムヨナ選手SP演技中
同フィギュアスケート浅田真央選手会見中



とにかく最近自分は涙もろい



年のせいか・・・
取り返しのつかない年齢に着々と近づいている
もしくはもう取り返しはつかないのか?



ひとつ言えることは自分は自分が関与しなかった分野、あるいは今後も関与しないであろう分野において究極とも言える領域やそれに近いものに涙を流すことが多いこと



数年前までは自分に対する悔しさに涙を流していたのだが



いつからだろう?



一番泣いた思い出は中学時代バスケ部に所属していた自分が3年の夏の大会地区予選決勝で敗れたとき
である



後にも先にも「号泣」と呼べる経験はこれ以外ないだろう
と思う



ミニバス経験者で1年次から先輩とともに試合に出ていた自分
格好良さに拘り走ることが嫌いだった自分の性格に加えて前近代的で非論理的な顧問との軋轢
2年の途中から実力ではなく顧問の偏向によりスタメンから外された経験
3年次新しい背番号が発表されたとき2年次よりも背番号が大きくなった屈辱
上記決勝戦で自分がチームの半分以上の得点を取るも途中交代させられ負けたこと



青春と呼ぶにふさわしい経験だ



泣いた
自分のことで精一杯で泣いた



今は自分のことで泣くことはない



一所懸命になれていないからか
成長からか
時代のせいか



内と外に原因があるのは間違いない



あ、また二項対立になってる
難しいな
頭が硬い



人生であと一度だけでいいから自分のことで精一杯泣きたいと思うのであった

なりたい姿とありたい否あるべき姿

なりたいモノはたくさんある
いろんな次元で
職業で言えばBARのマスターであったりイタリア料理店の店長であったり
割とお店をやりたい願望が強い
他には一級建築士になって後世に残る建造物を作る
とか
自分の世界が欲しいのだろうか



しかしこうありたいもしくはこうあるべきだと思う姿は少し違う
責任感(特に親の期待に応えるいやむしろ自分の進んだ道にけじめをつける)のためか会計士をとり商社に就職、その後留学を経て起業



自然な思考が生んだ人生設計であり自分でもつまらない発想であると感じる
いわゆるレールの上を歩くような人生
もちろんただありきたりなレールだからといってそれがラクな道だとは思わない
むしろ短絡的な道ではあるがかなり厳しい世界



単純なものの裏に複雑さがはらんでいる



といった言葉とはまた違うのかもしれないが



結局自分はどこに進めばいいのか
定期的?いや不定期?
とにかく悩む



そもそも決断力に欠ける自分は今まで他力本願というか
なんとなく他人の助言に反抗するようで実は従ってきた



そのおかげでそれなりのあくまで「それなり」だが(見る人によってはかなり羨むべき)地位?現状?に落ち着いた



だがしかし自分の適性ではないのでは
と思う



結局ただなんとなく学生生活を送っているだけでこの日常生活に未来は付随してこない



自分の本質が決断力さらに言うと実行力に欠ける人間とわかっていたのならば同程度の努力を必要としたのだから医学部にでも進学してそのまま医者という更に簡単な道へ進んでも良かったのでは
とまわりの医学部進学を決めた人間たちを見て考えてしまう



自分に足りないものは
本当の意味での願望
だろう



金が欲しいとは思うがそれを考えると金には際限がない



言ってしまえば極論収入には際限がないのだから



そして自分は自分の力以上に他人に対して奉仕をしてしまう
人生give-and-takeだ
などと体のいいことを言って与えられるものはすべて与える
結果自分は損をしているような実は逆に何かを得ているような不思議なある種錯覚に陥る



なりたい姿とあるべき姿の硲で揺れる近頃なのであった・・・



P.S
知人の話によると自分が幸せになるために他人に幸せになってもらう
のだと
かなり納得した自分がいた
他人の言葉で安心してしまう自分を若干浅はかだと思うが人間そんなものだ



余談だが
仕事がうまくいかないと恋愛もうまくいかない
逆もまた然り



つまり自分は結局今学業に勤しむほかちっぽけな恋愛を成就させることはできない



今やれることをやるしかないのだろう・・・
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