骨盤(腰椎?)、胸椎、頸椎の「矯正三種の神器」を手に入れた新人君。

研修で最も大事だと言われた

患者さんからどんな症状を聞いても

原因は「骨盤のゆがみ」にもっていく

トークスプリクト

も習得し、いざ現場へ。

 

とは言っても、患者様は十人十色。

年齢・性別はもちろんですが、その矯正(?)すべき骨盤・腰椎・胸椎・頸椎の形状。

いわゆる反り腰だったりへっぴり腰だったり猫背だったり。

その反り具合やへっぴり具合や背中の丸さ具合、

お一人たりともA・Bお二人の先生と同じ方はいませんから大変です。

ま、でもそこはどんなお仕事にも共通でしょう。

場数を踏んで

、失敗・成功を重ねていくなかで一人前になっていくものです。

 

事務職員、営業マン、ショップ店員、ドライバー、建築現場、教師、研究者、弁護士・・・

我々柔道整復師もその一つです。

場数を踏んで、失敗・成功を重ねていくなかで一人前になっていく・・・

 

ですが果たして、アナタはそれでもオッケーですか?

その柔道整復師の「矯正」の場数の一つにされてしまっても。

 

何も起こらなければおんのじです。ですが

失敗イコール捻挫です。

失敗イコール断裂を含む靭帯損傷です。

失敗イコール脳脊髄液減少症の発症です。

失敗イコール・・・最悪の結果を招くかも知れません。

 

「え?じゃぁ、柔道整復師は何も出来ないじゃん!」

 

まって下さい。誰もそんなことは言っていません。

 

柔道整復師が持っているのは

「骨折・脱臼・捻挫・打撲・挫傷の整復」処置に対する「国家資格」です。

試験に合格するために勉強し実技練習をしています。

 

「資格」に対する「根拠」があるんです。

最悪、その「整復・処置」で事故が起きても保険に入っていれば補償を受けられます。

 

ですが、私はこのブログでずっと指摘してきました。

 

「国家資格を持っているものが行う矯正だから安心です」をうたい文句にしている柔道整復師に「根拠」はありません。

 

何の根拠もない柔道整復師が行う矯正の「場数の一つ」にされても、アナタはオッケーですか?

 

改めて整理していきます。

 

まず第一に、

「矯正」は柔道整復師の国家資格と何の関係もありません。

3年間通う専門学校の授業で、座学・実技ともに「矯正」という科目はありません。当然、国家試験には

一字も出てきません。

もちろん骨盤や背骨については当然学びますし、解剖学的な位置や構造、それに付着する筋肉の知識には自信があります。

ですが、我々柔道整復師が学習するのは折れた骨や抜けた関節を元の正常な位置に戻す「整復」です。

そして、その骨や関節が修復するために必要な固定方法やリハビリについてです。

痛みや違和感を感じながらも通常の生活が出来ている骨盤や背骨を動かす「矯正(?)」方法など一切学びません。

 

第二に、

例えば「骨盤矯正」という言葉は、歯医者さんで行われる「歯列矯正」のイメージを利用したマーケティング用語であって、医学用語でも何でもありません。

外から見える歯の矯正であんなに大変なのに、

身体の中にあり筋肉や靭帯で頑丈に覆われた骨盤(や背骨などの骨格)を、

どうすれば一瞬にして「歯のような矯正」が出来るのでしょう?

 

色んな疑問が浮かんできます。

「骨盤がゆがんでいる」

骨盤のどこがどう何に対してゆがんでいるのでしょうか?

骨そのものがゆがんでいるでしょうか?

骨そのものの歪みを瞬時に手で治せるのでしょうか?

「背骨がずれている」

背骨のどこがどう何に対してズレているのでしょうか?

背骨の椎体がどうにかなっているのでしょうか?

背骨全を一直線に手で治せるのでしょうか?

「左右で脚の長さが違う」

骨盤周囲の筋肉や膝関節などの影響で違って見えているだけではないのでしょうか?

顔ですら左右で違うのに、大きな骨格で左右対称なんてことがあるのでしょうか?

国家試験通ったばっかりのような柔道整復師

に骨盤や背骨を矯正されることで様々な症状が改善されるのであれば、

こんなに医療技術が発達した世の中で「内視鏡下の骨盤矯正手術」が行われないのでしょうか?

 

第三の問題。これが案外厄介です。

「骨盤矯正を受ければ、私の症状はすべて解決するんじゃないかしら?」と思っていませんか?

というより、思わされてはいませんか?

前述したように「骨盤矯正」はマーケティング用語です。どこかの天才が思いついたのでしょう。

集客=女性、収益=自費診療、新たなニーズ=骨盤、イメージ=整骨院は骨の専門家、骨盤は土台=様々な症状の根幹が骨盤

こういう方程式が完成すると腰痛や肩こりはもちろん、頭痛や坐骨神経、冷え性や不眠、はたまたダイエットや不妊まで、「骨盤を矯正すれば・・・」と思っても不思議ではありません。

しかも、歯医者さんで行われる「歯列矯正」の「矯正」イメージを利用、いえ悪用した上でです。

しかも「生活の中で骨盤はゆがむから定期的なメンテナンスが必要」などと言われると、半永久的に通い続けることに抵抗を感じなくなってしまいます。

 

果たして、全ての元凶は骨盤なのでしょうか?

そういう骨盤の状態になってしまった原因が他にはないのでしょうか?

そういう骨盤にしてしまった犯人、他にいませんか?

 

テレビの通販番組や雑誌(特に女性誌)では、口を開けば「骨盤」「骨盤」。

テレビや雑誌が言うんだから・・・」と、何の疑問もなく受け入れていませんか?

上に挙げた疑問を参考に、ちょっとでいいので一歩引いてご自分で考えてみて頂くとうれしいです。

 

一見分かりやすい何かを悪者にして、それを叩くことで全てが解決するかのようなメカニズム。

その悪者?本当に根っからの悪者なのでしょうか?

そういう状態になってしまった原因が、そこにはありませんか?

骨盤も背骨もアナタ自身なのに。

 

ちょっと考えれば誰でも疑問が浮かぶのに、テレビ・雑誌からの洪水のような情報で考えることを忘れてしまう。

だから「厄介」なんです。コレ、言い方変えると「洗脳」です。

 

一見分かりやすい何かを悪者に。

 

全くの余談を二つ。

余談1)

勧善懲悪。時代劇なんてその典型ですね。

悪いヤツをやっつけて気分爽快。

たとえどんな事件であろうと、どんな設定であろうと勧善懲悪。

正義が勝つ、悪は負ける。

じゃ、悪は何故負ける?

そこに理屈はありません。

「悪」だから負けるんです。

そんな世界にドップリつかると、

「悪」が負けるのではなく「負けた方が悪」という思考回路になってしまいます。

テレビはそういうことに大いに役立ちます。

 

70数年前、戦争に負けた国があります。

何故負けた?

テレビにドップリつかった人に理屈は通用しません。

「負けた方が悪」であって「悪だったから負けた」と。

そして思うのです。その国が物凄く悪かったから、最後の最後にひどい目に遭わされた。

今の俺たちはそんな「悪」じゃない。見てくれ、こんなに「善」なんだぜ!と。

その国だけを悪者にして叩けば自分は正義でいられる。

その国を悪者にすることで甘い汁を吸ってきた人たちにとって、

その国以外にも原因があったなんて考えはもっての外。

その国がそういう「悪者」とされる状態になった原因が他にはなかったのでしょうか?

本当はその国は「悪者」じゃなかったんじゃなでしょうか?

その国は「他の悪者」に抵抗したんだから、そいつらからすると「悪」なのは当然じゃなでしょうか?

そんなこと考えられたら大変。

テレビ、新聞、雑誌でひたすらその国を悪者にしたてあげます。

1945年以降のどこかの国を見ているようで、本当にはらわた煮えくり返る思いがします・・・

 

余談2)

骨盤が歪んでいる、背骨が捻じれてる、脚の長さが左右で違う

じゃ、完全な状態って何?

完全に歪んでいない骨盤って?

完全に捻じれていない背骨って?

完全に左右の長さが同じ脚って?

分かった、あるとしましょ。

じゃ、実現できるの?

 

男女平等。

女性しか赤ちゃんを産めないのに完全な男女平等が実現出来るの?

一票の格差。

選挙区の区割り、人口分布、環境・・・などの要因が複雑にからみあう今、完全に格差のない一票って実現できるの?

人口百万人のA県には選挙区が一つで一人当選。

人口一千万のB県にも選挙区が一つで一人当選だとすると

確かにA県の選挙区の票の価値はB県の選挙区の10倍あるし

B県選挙区の一票はA県選挙区の人の10分の1の価値しかありません。

だが、だからといってB県の選挙区を10に分け、10人当選するとどうなりますか?

 

A県から一人の議員しか出ないのにB県からは10人。

一つの議案に対し人口が多いB県は10票投じられるのにA県は一票しかいれられません。

代議士制度をとる限り、「一票の格差」をなくすということは、

人口の少ない所「地方」の声を軽視することに他ならないのではありませんか?

「一票の格差」を言い続けることで利益を得ている人はいませんか?

「平等じゃない!」「格差がある!」と叫び続けることで何の努力もせず正義でいられる人はいませんか?

叫び続けることで、法律に基づいた選挙制度で当選した議員たちの言動や政策を否定する

ための根拠にする人たちはいませんか?

 

常識ある人なら、ちょっと考えれば分かることなのに

「分かりやすい何か悪者」に押し立てることで思考停止させられていないでしょうか?

 

余談でした。

 

誤解しないでください。何度も書いてきたように

「矯正」という言葉で表現されるような技術を全て否定したいのではありません。

以前のブログでも書きましたがそういう技術はあるのでしょう。あると思います。

その理論について私は詳しくありませんが、不具合のある関節を調整「矯正(?)」することで症状を改善させるという技術は存在すると思います。

ですが、同時にそれにはかなりの知識と経験とその熟度が必要

はずだとも思います。

そういう意味で、ちゃんとした技術をお持ちの先生は尊敬しております。

そしてそういう意味でも、私は「矯正」なんて出来ません。

 

そりゃ中には天才がいるのかも知れませんが、

間違えても専門学校卒業して国家試験通ったばかりの若い柔道整復師全員にそんな技術は備わっていません。

 

ただ、アナタにはその「矯正とやら」を受ける自由はあります。

「だって、気持ちいいんだもん」

そうです。全然OKです。

ねん挫、(剥離)骨折、脱臼、脳脊髄液減少症、最悪のケース・・・のリスクと引き換えにどうぞご自由に。

 

 

 

ここに二本の動画があります。

色々ツッコミどころは満載なのですが

(例えば、なんで女性の皆さんはそんなセクシーないでたちなのとか・・・)

自分が一番印象に残るのは、終わった後の二人の笑顔です。

ゴキッ、バキッ

という日常生活では起こりえない現象を体験した患者さん。

ビックリしたでしょうけど、無事だったことへの安ど感がそこにはないでしょうか?

頸椎の〇番目がとか、腰椎の〇番目が

「矯正されて良かった」

という笑顔でしょうか?

 

非日常を体験し無事だったことに対する安ど感

される前のドキドキヒヤヒヤ感からの解放と、

それを見抜かれてたのではという術者に対する照れくささ

がそこにはないでしょうか?

 

そして、その瞬間をともに経験した二人だけに「何らかの特別な空気」がそこに生まれないでしょうか?

 

実技の研修のはじめに書きました。

大切なのは「距離をつめる」こと。

 

この動画に出てくる方々の距離感、いかがですか?

 

 

 

 

「国家資格を持っている者が行う矯正だから安心です」

をうたい文句にしている整骨院。

残念ながら、うたい文句の国家資格に根拠はありません。

 

「いらっしゃいませ―――っ!」

「右手親指のシビレですねーーー!」

「頸椎6番目の矯正入りまーーーっす!」

「はい、喜んでーーー!」

なんて居酒屋さん的なノリの院はさすがにあなたの周りには無いと思いますが(実際にはあるのですが)、もしそんな時は・・・

 

ま、判断はおまかせいたしますが。

 

骨盤矯正?んなもん出来ません!

私は声高らかに、胸を張って宣言します。

 

ここまでお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

少し間をおいて、新シリーズでお目にかかれればと思います。