とうとうU-nextのアニメ版めぞん一刻が放送終了となってしまった。「私」は一刻館から強制退場させられたのだ。
約3週間前はめぞん一刻により様々な感情であふれて「私」の日常生活に支障をきたすくらいだったのだが、今は少し落ち着きを取り戻したかもしれない。CRめぞん一刻の「約束の向こう側」は公認といえども飽くまで二次作品であるということを自分に言い聞かせることで、ショックを和らげようと努めた。50代に入り、ときどき朝起きた時「自分はもう50年以上の時を過ごしたのだ。」と考えることがある。40代には全く感じなかったのだが、人生を振り返る瞬間がでてくるようになった。妻と恋愛していたころの感情、男として定職に就かなくてはならないというあせり、結婚してわが子ができたときの幸福感。様々な「私」の過去の情景の一部がめぞん一刻とリンクしたのだ。なぜ、これほどまでにリンクしたのだろう。この作品の「考察」や「構造」についてはネットで検索すると山ほどでてくる。それらを読んで「なるほどなぁ、そういう解釈もあるのか。」と感服するばかりである。その中にめぞん一刻は「(青年の成長)と(女性の回復)の物語である。」という解釈がある。五代くんの19歳から24,5歳までの成長の様子が描かれているのだ。ハッとした。40年前1学年の子供は200万人を超え、大学進学率は5割を切っている。その中で一流大学ではなくても大学に進学しようとする者は少なからず「少しでもよい会社に入り、将来安定した生活を送りたい」と考えていたのではないだろうか。女性の社会進出についても現在とは全く異なる。つまり、30~40年前の青年は「結婚して家庭を持ちたい」のならば家族をまさに養うための甲斐性すなわち「定職に就く」ことが求められたのだ。五代くんのこの「通過儀礼」を経る過程が「私」が経た「通過儀礼」にリンクしたのだろう。もっとも五代くんが24歳で定職に就いたのに対し、「私」が定職に就いたのは30歳だったのだが・・・。つまり「通過儀礼」を経るという意味では「私」は五代くんよりも落伍者なのだ。