めぞん一刻のアニメを見て、50代なりの感じ方があり、20代で読んだ時の読み味が異なっていたのだ。

ストーリーを知っているだけに、アニメの最終盤になると視聴者としての「私」が一刻館から追い出される感覚に陥ったのだ。

もともとこの物語は主人公の二人が結ばれるであろう結論ありきで展開が進んでいくので、予定調和は折込み済みなのだが、それでもやはり「私」は最終話で追い出される感覚に陥り、案の定追い出された。追い出されたという感覚はつまるとこ「まだ一刻館にとどまりたい」「その後の主人公や一刻館はどうなるのか」という感情が残ったということだ。物語は必ず終わりがあり、終わりがない物語「ネバーエンディングストーリー」は存在しない。あろうはずもない「ネバーエンディングストーリー」を求め、ネットで「一刻館その後」と検索してみたのだ。「あろうはずもない」のだから、私は多くのファンの「その後の一刻館」に対する考察を求めていたのかもしれない。ところが、だ。パチンコめぞん一刻の「約束の向こう側」があったのだ。数分ではあるが、五代くんと響子さんの娘「春香」が成長していく様子の映像が流され、最後は老人の五代くんが若いときの響子さんの写真を・・・・。

正直ショックだった。感動ではなくショックだったのだ。そのショックは二重性を帯びていた。ハッピーエンドの物語には続きがあり、最終的に響子さんが五代くんより先に〇〇ことにより、約束が果たされ感謝される。なんという物語の構造だ。切なすぎるではないか。もうひとつは人は必ず年をとり必ず死ぬということだ。どんな漫画やドラマ、物語でも登場するキャラはいつまでも年をとらず永遠であり、物語を始めるのも終わらせるのもページやボタンを押す読者、視聴者であるはずであり、私は今までその感覚でアニメや漫画小説を読んでいた。しかし、この「約束の向こう側」では視聴者である「私」の物語も必ず「老い」と物語の終わりである「死」が待っている。そのことをまざまざと見せつけられたのだ。つまりめぞん一刻という「架空物語」と私の「リアルの物語」がリンクしたのだろう。めぞん一刻が連載された時期を改めて調べると1980年からの連載である。1980年で五代くんが19歳、響子さんが21歳。この設定が正しければ、めぞん一刻の物語が始まってから43年経つことになり、五代くんが62歳、響子さんが64歳である。春香ちゃんは30代半ばというところか。この二重のショックにより数日間(今でも)「恋患い」ならぬ

「一刻館患い」に陥ってしまったのだ。なんとアニメ版96話を3回も見てしまった。この病を治すためには、「飽きるまで見る」もしくは完全に断つかの2択なのだろうが、どちらにしても一刻館から「追い出された」のではなく自分の意志で「出ていく」しかないようだ。しばらくはでていけそうにもないが。