こんな記事を見つけたので、せっかくならかつての受験生としてちょっと振り返ってみようかなと。

 

1かつての受験生

このブログでもたびたびお話しに出してますが、僕もかつては司法試験の受験生でした。

ロースクール卒なので、ちょうど話題にでてる受験生ですね。

 

受験資格を有している間に、行政書士試験に合格して、失権したから行政書士になったという、先輩に言わせれば「崩れ」な僕です。

 

 

 

2毎年の感覚

卒業後に試験回数が定められているというのは結構なプレッシャーでした。

 

毎年毎年五月のGWのあたりは生きた心地がしない。

 

これは周りの環境もあるんですよね。

家庭が悪いとかじゃなく、友人たちはどんどん結婚して子供もできていく。

その傍らで、自分はという環境が毎年続くわけです。

(今もあんまり変わっていない気もしますが)

 

これ自体は、専業の受験生を選んだ自分の選択なので、誰かを責めれるものではないですが、やっぱりきつかったなーというのは正直な話。

 

 

3大事にされていない

記事にも上がっていた「大事にされていない」と強く感じたのは最後の受験でした。

 

時に社会はコロナ禍であえいでいる時代。

史上初の延期が告知された世代ですね。

 

結果的に延期の末5月から8月開催、会場も分散開催という形で実施されるに至ったのですが、当時のメンタルは相当ヤバかったです。

 

なんでこんな社会がめちゃくちゃな中で回数限られた受験をやらんとあかんのかと。

(4回目までに受かっておけよというお叱りはもっともですが)

 

しかも、8月開催が告げられたのも7月に入ってからだったとおもいます。

とりわけ、目標が立たない状況での5月6月の調整は本当に困難を極めていました。

 

結局のところ、司法試験の制度は人が作ったものなので、人が考えれば延期延長なんてできるはずなんですよ。

なので、制度的には来年度に延期或いは欠席を申し出れば受験回数にノーカウントにすることも制度的にはできるはずです。

 

ちょうどオリンピックは延期されたわけですし。

 

で、実際8月に実施されましたが、7月下旬から新しい波がやってきてて、延期した5月よりひどいんじゃないの?って噂がちらほら流れている世相でした。

 

そんな中での強行。

 

結局のところ制度的な保持維持が優先に来て、僕ら受験生については見てもいないんだろうなとなんか腑に落ちちゃったんですよね。

 

こんなメンタルで戦ってもどうにもなるわけもなく。

 

5回やりきらせてもらった家族には感謝しきれませんが、制度運営についてはちょっと恨みっぽいものが残る結果に終わったんですよね。

 

4どうなるんですかね

実際のところ、ロースクールの教育自体は非常に面白かったです。

今の行政書士としての活動にもちょっと生きている部分があったりもします。

 

なのでロースクール自体が無意味とは思いません。

他方で、現在の予備試験経由の合格率との関係でみると、そもそも受験要件として必要なのかという点は疑問はあります。

(とはいえ、僕がいうと負け犬の遠吠えみたいですが)

 

もう一回やりたいとは思いませんが、法律関係者の一つの到達点として今後どうなっていくのかは、注目しています。