~プロフィール~

福岡出身。現在39

2010大阪にある情報システム就職。

2020222倒れ、高次脳機能障害に。

失語症・失行・注意障害・記憶障害など。

身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。

麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。

 

妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。

務めていた会社に2023月8月から復職開始。

2024年3月末まで、復職継続の判定中。

 

おはよう。

 

私が倒れたのは、2020年(令和2年)2月22日の朝。

今からちょうど4年前。

“2”ばかりの日の早朝、インターネットカフェのトイレ個室内で一人で倒れた。

 

前日が金曜日で、会社で一緒に仕事をしている人たちと3人で居酒屋に行った帰りだった。

週末で3連休なので、趣味の一眼レフで街並みを撮って、翌朝に帰るつもりだった。

こんなことをいっておきながらなんだが、私自身はその日のことはほとんど覚えていない。

 

どれくらい見つからなかったのかはよく知らない。

店員が見つけてくれて、救急車が到着。運ばれたのがちょうど今くらい。

生死のギリギリなタイミングで搬送され、医師も助かるか分からない状態だったらしい。

それから私は数ヶ月間、自我を失っていた。

 

この日に倒れた原因は分からない。

私が倒れた症状は、急性硬膜外血腫と判断された。つまり、元々の病気で倒れたわけではないという病名。

定期健康診断でも、何も異常は無かった。

 

ただ、なんらかの症状が徐々に進んでいたのかもしれない。

 

実際、倒れる1~2ヶ月前から、私は頭が痛いと言っていたそうだ。私は覚えていない。

先日妻から追加情報を聞いたが、私は頭の左後ろが痛いと言っていたそうだ。

そこは、私の脳障害が起きた場所だ。

 

 

 

少し前、なんでそんなことになったんだろうかと、ぼんやり考えていた。

 

こんなことを考える人がどれくらいいるのだろう?

当時の私は、人生に満足していた。それによって、もうこのまま生きても今より楽しい人生なんて無いだろう。

痛いのは嫌だが、何かの原因で自分で気付かず離脱したいような心持ちだった。

 

で、実際に倒れた。私は相当に怖かったのだろう。今更それに思いを馳せた。

倒れたり吐いたりしながら、徐々に具合が悪くなっていく。

初めは二日酔いかと感じたかもしれないが、だんだんそうではないと気付き始める。

でも、もはや何もできない状態でトイレ個室に閉じこもっていたのだろう。

死を感じたのかもしれない。

 

我ながら、自分の予定通りに死を迎えかけていた。

でも、そうはならなかった。

 

私は倒れる1~2ヶ月前、福岡に帰省していた。

妻の実家家族たちの集まりがあり、みんなでホテルに泊まった。

 

この当日の夜中、私は部屋のトイレで嘔吐していたことを覚えている。

この日は割りとたくさんのお酒を飲んだ。

 

実は、私はこの1~2年ほど前から、お酒を飲む量が多くなっていた。ホテルで嘔吐したのも、お酒のせいだと思った。

飲みすぎて酔っぱらって吐いてしまったが、恥ずかしくて、妻には「あんまり飲んでないのに、なぜか吐いた」とか言っていた。

 

そういう不摂生がどんどん溜まってしまったのだろう。もしかしたら、最終警告だったのかも知れない。

倒れるまでは癲癇による痙攣を起こすことも全くなかったから、単に疲れているだけだと思っていた。

 

社会人はみんな仕事を頑張る。みんな当たり前。

でも、それでも私はちょっと人格を疑うほど情けない。

 

ただ、そこにいるあなたも、私のような結末がすぐそこに待っているかもしれないよ。

 

 

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私は、倒れて半年ほど入院した。

退院後、妻から本をもらった。

 

『にほんごがこんなふうにみえたのよ!』

 

私と同じく失語症になり杖を突いている人が、自分の生活を四コマ漫画にした本。

齢も私と割りと近い。今の私と同じ39歳で倒れたそうだ。

 

どうやら、その本は元々ブログを書いていて、それが本になったようだ。

 

私がこの本を読んだ頃は、自分の人生が終わったように思っていた。

それに、興味はあるが、内容がよく読み取れない。

 

過去の仕事は覚えていたが、感覚的にどんな思いで業務していたのか、よく分からない。

失語症で言葉が分からないということ以前に、過去の自分を見失った。

自分が生き延びる必要なんてないと感じた。

 

息子たちにも「俺は死にたいんだよ」と言っていた。

小2の次男は、今でも悪口のように「死にたいとか言ってたよね!」と言う。

きっと印象に残ってしまったのだろう。本当に申し訳ない。

 

何とかしたい。

このまま何にもできずに暮らすのは耐えられない。

 

自分の仕事が波に乗ってきて、これからが私の人生だと思っていた。

あまりな仕打ちだ。

 

 

 

そこで、倒れてちょうど1年後から、この作者のようにブログを書き始めた。

人と会話することはかなり無理だと思っていたが、パソコンのキーボードは触れる。

 

正直、すぐに飽きると思っていた。文字が苦手になったのに、書けるはずがない。

でも、それから2ヶ月毎日書けた。

書いてみると、それだけいろんな一般人との違いがあるのだと分かり、むしろ楽しく感じた。

 

その頃は、『大阪府立障がい者自立センター』に入所して1ヶ月ほどだった。ほとんど人と仲良くなることはなかった。

でも、だんだんと失語症が回復してきて、友だちができ始めた。

意味が分からない会話を、楽しく談笑できるようになってきた。

 

ブログを書いていることは、私としてはリハビリのように思っていたし、それによって自分の症状を人に伝えることができると思っていた。

書いてみると、いくらでも書けた。そして、面白く思っていた。

ブログを書いていなかったら、もっと回復のスピードや質が悪かっただろう。

 

でも、同じ「障害者」の他人からしても、共通点は少ない。健常者からすればもっとだろう。

なにかのジレンマを、心の片隅で感じていた。

 

 

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ちょっと話は逸れるが、今年1月からは仕事をすることが、想定以上に満足感を得ている。

復職当初は、作業がほとんどなかったが、今は会社にとってその日に必要な作業を行っている。

こんなこと、もう出来ないと思っていた。それをやっている。

 

3ヶ月毎に高次脳機能障害の『なやクリニック』へ通院している。

先日、先生から言われた言葉は、心に響いた。

 

「あなたの感じている気持ちは、高次脳機能障害の影響によって、会社のみんなと異なるかもしれないよ」

「時々は自分から確認した方がいい」

 

失語症が割りと回復してきている。

単語を思い出せない現象はいくらでも起こるが、文章を読むことにはそれほど苦しくはなくなった。

人と会話しているときなど、ある程度落ち着いて聞いていれば理解できるし、確認や質問もできる。

というか、健常者の時は逆に質問するのが苦手だった。

 

倒れてからずっと、自分が元の自分では無いような感覚があった。

その一部は、本当にやってる内容が大きく変わったからなのだと、ようやく分かった。

今、過去と同様に業務を行っていると、“戻ってきた”ような気分。

 

でも、それは私の感想だ。

他人からすれば、会話が遅くて焦れったかったり、本当に理解できているのか不安になったりすると思う。

実際、当の本人である私だって、どこまで理解できているのか分からないし、時々数日までの会話をほぼ完全に忘れていて、聞いてもそうだったのだと思い出せないことがある。

 

ブログを書き始めて、だんだん自分の障害を理解することが出来てきたが、ボリュームがデカい。

こんなにたくさん伝えてしまうと、そんなに伝える事自体が障害のようだ。

 

 

自分でも感じていたが、説明しないと私の言葉や視野など、人には分からない。

街中で杖をついている人を見ると、自分はどう見られているのか少し不安になる。

先月の異動後は上司に伝えただけで、他の先輩には最低限のことだけを伝えるようにして、真摯に仕事をしている。

 

親身に接してくれる隣の席の社員も、「私もいろいろ忘れたりするから」と言ってくれるが、私からすると私の失語症・注意障害は普通の度忘れとは全く違う。

今後なにかのきっかけで、「あ、やっぱ高次脳機能障害って、普通の人じゃないんだな」と思われる可能性は、少なくないだろう。

 

私自身、疲れてくると、自分でもびっくりする感覚が起こる。

例えば、会社に向かって歩いていたときのこと。

頭の中で、「今日の仕事中、電話で連絡する必要があるけど、その電話はなにをするものなのだっけ?」から始まった。

 

「え? どうやって知らせるんだっけ? テレパシー?」

「人と話す? どうやって?」

「そんな遠くにいる人と話せないだろ…」

「あれ?でもやってた気もするな…」

 

もう、健常者からすれば想像もできないチグハグさ。

脳が壊れている。

 

ただ、周りからすれば、「意味が分からんが、こっちに迷惑をかけるなよ」と思うだろう。

復職当初は、私の症状を伝えようとしていたが、出来ないことはある程度伝われば充分。

 

私が感じていた“ジレンマ”の正体がようやく分かってきた。

 

それは、自分が出来ることを度外視して、出来ないことばかりを伝えていることだ。

社員は、給料をもらうために、社会に必要な業務を熟す必要がある。

 

一人の社員として、必要な業務を熟していきたい。

 

とてもありがたいことに、会社は私が勤務するのを許してくれている。

上司も私の困りごとを聞いてくれる。

 

その理由の一つとしては、失語症と言ってもそれほど酷くないからだろう。休職でどんどん会話が出来るようになった。

今でも多少まごつく話し方ではあるが、失語症だとは思われないような気がする。

 

でも、他の社員にとっては作業がトロくて苛立つ人もいるだろう。

それはもう仕方ない。焦らず進むしかない。

 

 

 

私が倒れた時は、息子たちは幼稚園児だった。

今は小4・小2。

 

いつまでも情けない障害者ではいられない。仕事で頑張っているのだと感じて欲しい。

 

倒れる数日前に撮った息子たちと私

 

 

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ブログを始めた時の自分の思いは、長々続けるようなものではないとも思っていた。

障害者になったことをいつまでも語るのは、あまり褒められない。

 

年末のブログも、書きながら思っていた。

誰にも役立たない文章を長々書くなんて、高次脳機能障害の一種のようだと。

 

実は、ブログを書き始めた当初から、心の中で思い描いていたことがある。

 

それは、障害者になった私を本にして出版すること。

 

本で稼ぎたいとか、そんなことこれっぽっちも思っていない。むしろ赤字になる可能性の方が大きい。

私は、この私のことを人に伝えたい。

 

自分がそうなる前から、失語症はだんだん回復してくると読んだことがある。

私も、今は全然ダメだが、自分の失語症が少しずつ回復してきたら、この自分を本に綴りたい。

それに、生き残ったものの、出来ることが壮絶に減っただけでは我慢ならない。

 

その話は、昨年9月に出版社にメールで相談した。

自分の障害を、自費出版したいと。

担当者は応援してくれた。

 

ただ、高次脳機能障害は人によってバラバラな症状だ。

これも、先述のジレンマと同じような話だ。

私個人を本として出版したところで、それを読んだ人にとって参考になるわけではないだろう。

 

そうではなく、人に役立つ情報を伝えたい。

沢山のことを学んだが、伝えられない。

まだまだその能力はないのだろう。

 

それに、そもそも通勤して仕事をしながら自分の本を書くのは、想定以上に無理だと分かってきた。

ブログの更新さえままならない。

 

そして、これが一番大きい。

仕事をするのが楽しいということ。

 

これまでは不可能になったと思っていた“働く”という作業は、心に潤いを与えてくれると思う。

 

私は3段階あると考えている。

ひとつめは、人に自分の気持ちを伝えること。

ふたつめに、その人から返事をしてもらうこと。

みっつめは、人から指摘を受け、次のステージに進む力を生み出すこと。

 

ブログはこのふたつめまで。

みっつめは、仕事だと思う。

人の役に立っているのか、ハッキリ分かる。

 

お互いが自分たちの思いを伝え、それを成就させ、金銭的なメリットを生み出す。

そういうことを、私はしたかったのだ。

 

ようやく思い出した。

 

 

 

そこで、当面は本を書くこともブログを書くこともせず、まずは仕事に慣れていきたいと思う。

会社で働く楽しさを、ようやく思い出した。

 

私のブログは、“ハッピーエンド”で終わり。

 

そして、自分の思いが描けるようになったら、いよいよ本を出したいと思う。

それが私の目標だ。

 

 

 

そんなわけで、みなさんも健やかで楽しい人生を、自分から切り開いていってください。

 

 

おわり