~プロフィール~
福岡出身。現在39歳。
2010年 大阪にある情報システムへ就職。
2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。
失語症・失行・注意障害・記憶障害など。
身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。
麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。
妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。
こんばんは。
先月、最終回と名付けたが、その記事を書き終えてから思い出したことがある。
それをエピローグとしたい。
最終回を書いた2月22日の翌日からは、3連休だった。
妻は、家族4人で京都に遊びに行こうと言った。
それを聞いて、倒れる前のあることを思い出した。
倒れる前、一眼レフで撮った写真をTwitterに載せていた。
2020年2月上旬、それを見たある人から連絡があった。
その人は、京都で写真展を行うらしい。
選ばれた人は、自分の撮った写真を4枚選び、そのデータを送ると印刷して展示してくれるそうだ。
そこに、私の写真も加えて構わないかという質問だった。
正直如何わしいような気持ちはあった。
その人の名前も公開していない。どんな人なのか、さっぱり分からない。やっている内容も私にはよく分からなかった。
でも、写真はTwitterに載せているから、特に問題は無いだろう。
写真展は2月22日から3日間行うそうだ。
折角だから、家族を連れて行ってみようと思った。
そして、その三連休の初日から、私は病院にいた。
私は生死の狭間にいた。
後から知ったが、結局この写真展は開催されなかったそうだ。
コロナ禍のせいなのか、単に準備が間に合わなかっただけなのか、よく分からない。
現在調べようと思ったが、Twitterから名称変更されたXで見ようと思っても、見えない。
考えてみると、あれ以来京都には一度も行っていない。
今回、そのリベンジではないだろうか。京都へ、いよいよ参る。
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今回、妻は高速バスで行くことを提案していたが、私は気になっていた方法を提案した。
京阪電鉄の洛楽。
この洛楽なら、大阪市京橋を出ると、次の駅は京都市内。
速さはあまり変わらないかもしれないが、なんだか面白そう。
息子たちが一度も乗ったことのない、二階建て車両もある。
出発時、京阪京橋駅ホームの名物、フランクフルトをみんなで食べた。
電車が走り出すと、息子たちは颯爽と二階建て車両に乗った。
私は迷惑を掛けるかもしれないので、3人で行ってもらった。
車両から一人で眺める景色は、過去の仕事やプライベートを思い出させるものだった。
到着駅は終点の出町柳。
実は前日、息子たちに森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』を見てもらった。
そのアニメ映画の場所なのだと伝えたが、一番ワクワクしているのは私だろう。
出町柳駅を出て、鴨川デルタに移動した。
そう、この出町の飛び石を、私は渡れるのか。それを知りたかった。
息子たちは楽しそうに渡っていた。
特に小学2年生の次男にとっては、ちょうどいいアスレチックなのだろう。
だが、やはり私は無理そう。
というより、近くまで行こうとしても、地面に転がっている石に躓きそう。
来たばかりで怪我をするのは良くない。
そんなことを考えていると、杖を持った5~60代くらいの男性が、奥さんに支えてもらいながら渡り始めた。
かなり危なげだったが、無事渡り終えた。
今日は辞めておくが、私もいずれそこに辿り着こう。
次は妻が京都に行きたいと思った箇所へ行った。
『glass studio may』というガラス細工の体験。
息子たちと妻がやるのだと思っていたが、妻ではなく私がカウントされているそうだ。
興味はある。
初めての体験だから、息子たちを見ながら私もがんばった。
いろんなガラスの欠片が用意されている
こんな感じに並べ、終わった後にスタッフが焼いてくれる
出来上がった完成品
ガラス細工の後、近くに喫茶店があった。
『さらさ西陣』。
なんだか良さそうな雰囲気。
そこで昼食を摂ることにした。
すると、そのテーブルの隣にある本棚に、昨日見た『夜は短し歩けよ乙女』に出てくる絵本、『ラ・タ・タ・タム』が置いてあった。
息子たちとキャッキャッと喜んだ。
映画の中では貴重な本のような表現だったが、こんなところで見つかるなんて、なんという偶然なのだろう。
と一瞬思ったが、おそらくこの喫茶のオーナーが映画を観て、格好の本だと思い買ったのだろう。
置いてあった『ラ・タ・タ・タム』の発行年月日は、『夜は短し歩けよ乙女』の公開より後の、2019年となっていた。
でも、面白い。さっそく読ませてもらった。
ラ・タ・タ・タム、なかなか面白いではないか。
最後に、先斗町辺りを散歩しようかと持っていた。
『夜は短し歩けよ乙女』で、この地名は出ていなかったかもしれないが、冒頭に出てきたみんなでお酒を楽しむ場所は、間違いなく先斗町だと思う。
私としては、華やかなお酒を楽しむ場所なイメージで捉えている。
バスに乗り、幸い椅子に座れた。
だが、ドンドン乗客が増えてきた。
私はだんだん気持ち悪い気がしてきた。
いや、気がしているだけではない。どんどん具合が悪くなってくる。
吐きそうな感覚とは違うが、頭が苦しくなって、もう堪えられない。
もう少しで三条に着く。でも、自分だけではもはや立ち上がることもできない。
少し離れた席に座った妻に、LINEで伝えた。
「ヤバい よった じぶんでおりれん」
もう変換もできない状態だった。
妻はすぐに返事をくれた。バスを降りるときは手助けをしてくれた。
次男はバス内で眠っていたので、妻は次男も含めて介助した。たくましい。
バスから降りると、膝がプルプル震えている。
急性期病院で歩く練習をしていた時以来、久しぶりの症状だ。
先斗町の風景は少しだけチラ見していたが、もう楽しめる状態ではない。
そそくさと帰宅を考え、京阪電鉄の三条駅に移動した。
一方、息子たちはガチャガチャを見つけて購入し、楽しんでいた。
ひとまず私のせいで息子たちが楽しめないようなことにならなくて、本当に良かった。
そんなわけで、倒れる前の状態に戻ったわけではないというお灸を据えられたような気持ちだ。
でも、まだ色々と楽しいことは出来るのだと、個人的には実感できた旅だった。
急性期のときのことを思い出したからだ。
自分は外を出歩くなんてできないと思っていた。もう、老人ホームに入れられたような気持だった。
今は好きな所に行ける。それを挑戦できる。それが楽しい。
倒れていなければ味わえなかった感慨だと思う。
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話は変わるが、先日、会社から復職判定の報告があった。
復職の判定は2023年8月から始まり、当初は年末までには結果報告がある予定だった。しかし、判定がつけられず、年度末に変更となり、業務内容や職場が変わった。
変わったときはショックだったが、会社の人達の話を伺って、動揺しなくなった。
でも、復職が可となるのか、不可となるか、とてつもないギャップがある。
そして、報告された結果は「可」だった。
つまり、これからも会社にいられる。
本当に安心した。
上司はあっけらかんと言ってくれたが、私にとっては相当に大きな決断をしてくれたのだと受け取めた。
回復期にいた頃は、復職は当たり前に可能だと思っていた。身体的に移動ができれば、知能が悪くても支えてもらえるだろうと。
でも、私が休職で知り合った同じ高次脳機能障害の人たちは、ほぼ全員が元の会社に戻れなかった。
会社に戻れることを、当たり前のように受け取るのは、決して良くない。
自分の出来ることを必死で探り、決して無理をしないことが必要だと、重々認識した。
業務で人と交流するということは、とても有り難いことなのだと、こうなって初めて思い知った。
ただ、やはり高次脳機能障害の人が、普通の会社で働くというのは、充分に自覚が必要だと感じている。
会社で同じ職場の人と話をしていると、割りと会話が出来るため、失語症なんて軽いものだと思われるようだ。
でも、これはまったく違う。知り合った高次脳機能障害の人からもよく同意してもらう。
例えば、私の高次脳機能障害を全然知らない他社の人と会話するなんて、到底無理だと自覚している。
会社名を何度聞いても、全然覚えられない。ふざけているように思われる。
私は今年1月に異動となり、私の障害について細かい話はしないようにしていた。
それは、高次脳機能障害を言い訳に受け取られると、どうしても“働きたくない人”・“怠けたい人”だと思われるから。
でも、異動してそろそろ3ヶ月が経つ。
先日、一緒に働いている人から「次は他社からの電話応対をしようか」「始めは難しくても、だんだん慣れてくるから」と言われた。
私は断った。
それを聞いた同僚は、“働こうと思うんだったら、もっと前向きに仕事をしろよ”という顔をしていた。
ようやく気付いた。このままではもっと孤立してしまう。
事情を話すことは苦手なので、簡単な説明文を書いてその人に渡した。
とても有り難いことに、その人は納得してくれた。
私が話を聞いていてメモを取らない理由は、メモを書こうとするほどのキャパシティがないからだと知って、それを理解していただいた。理解いただく健常者の優しさと、それを感謝する障害者のお互いの意思疎通が大切なのだと、改めて感じた
やはり、人には通じにくい“出来ないこと”は、事前に伝えておくべきなのだろう。
それが必要だと分かったものの、どの程度のニュアンスで伝えたらいいのか、まだまだよく分かっていない。
それが、次のステージなのだろう。
復職は果たした。新しい、自分にしかないチャレンジ。
悔いなんて残したくない。
なんだか、楽しくなってきたぞ。
おわり
追伸
先日、Twitterで私に写真展の持ちかけた人を調べようとして、過去のメールを漁っていた。
結局そのユーザは見つけられなかったが、倒れる一ヶ月前、私がこんなメモを走り書きしていたと知った。
なお、私には全然覚えがない。
これまで流されてきた人生の中で、大きな問題にはぶつからなかった。
今後もなんとかなるのではないだろうか。そんな漠然とした楽観。
でも、もしかしたら、違うのかもしれない。
実は酷い目に遭ってしまい、現在は“やり直し”の途中なのではないだろうか。
人間の意識とは何か?
脳内物質と電気信号の生み出す幻影か?
ヒトが見ていると感じているものは、学習によって形作られる。
聴覚・触覚・嗅覚・味覚なども同様。
もし、これら五感とは別の、精神的な領域が意識として存在しているとしたら?
肉体が生きている間だけ宿る魂のような概念があるとしたら?
それは一体、なんなのか。
何故混線しないのか。
これを見て、2つ感じた。
ひとつめは、自分の未来をどことなく想像していたのだと、感慨深い気持ちになったということ。
もしかすると、その頃の原因不明の頭痛が原因なのかもしれない。
その痛みを、第六感みたいに感じていたのかもしれない。
ふたつめは、今の私の思考とあまり変わらないということ。
読者がどう思っているか分からないが、私は過去の自分と今の自分が他人のように感じていた。
脳障害で割りと起こる現象らしい。休職中、同じような気持ちを味わった人を、何人も知った。
だけど、結果的には全然他人ではなかったということ。
今の私とそっくりな表現で文章を書いている。
加えて、これが一番大切なこと。
時間のためなのか、生活をしてきたためか、現在の私は現実に戻ったような感覚を得ている。
次のステージに進むには、とても清々しい気付きを得られた気がしている。