~プロフィール~

福岡出身。現在39

2010大阪にある情報システム就職。

2020222倒れ、高次脳機能障害に。

失語症・失行・注意障害・記憶障害など。

身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。

麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。

 

妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。

務めていた会社に2023月8月から復職開始。

2024年3月末まで、復職継続の判定中。

 

こんにちは。

 

自分が倒れる前、多少走ったりして贅肉を落とそうとすることあった。

やってみるとそれなりに充実感はあった。

でも、そこまで真剣ではなかった。

 

ところが今はほぼ毎日ストレッチをしている。

そうしないと、本当にドンドン問題が起こるから。

 

単に足が遅くなる程度の問題ではない。毎日のように足の動かし方が変わる。体重を掛ける方向が分からない。

好みとかではなく、生きる為に必須な想いだ。

普通の人なら、まったく気にせず好きなように歩いている。私もそうだった。

 

ただ、復職が始まった8月から、若干面倒になってサボっていた。

私が昨年10月に転んで膝蓋骨を折ったのは、毎日のストレッチをサボった結果なのだろう。

身に染みて理解した。

 

 

 

私の通勤途中の駅付近には、フィットネスクラブがいくつかあるようだ。

看板が目に入る。

 

 

健常者だったときは全然気にしていなかったが、私はストレッチが必要になったから少し目に入ってくる。

でも、行こうとは思わない。

身体障害者で杖持ちの私が、そのフィットネスクラブに入会できのかは分からないが、少なくとも自宅の個人ストレッチと通勤だけで十分だと感じている。

 

以前、通所の病院でボツリヌス痙縮治療を半年ほど受けていた。

でも、このボツリヌスの施注を行ってもあまり効果は感じられなかったため、半年で一度やめることにした。

もし辞めたことで歩きが悪くなったら、またお願いすると伝えていたが、今のところは特に不便はない。

 

この病院で、下肢装具を進めてもらった。その下肢装具は、履き始めた当初は足首や足の甲が痛くてかなりやさくれた気分だった。

でも、諦めず履いているとだんだん痛みが無くなってきた。今でも常に使っている。

おそらく、足が弱体化しているから、何をしても痛みを感じていたのだろう。今はそれが強くなったんだと思う。

 

それでも、運動麻痺のため歩くときにつま先が地面をこすってしまう。靴底は1~2ヶ月くらいで穴が開いてしまう。

穴が開くのはとても悔しかったが、妻がボンドを購入して、穴をふさいでくれるようになった。

 

装具だけではなく、靴下の左足親指にも穴が開く。

この写真では血豆が出来ている。これは昨年夏に一度できた血豆だったが、最近またできた。

たぶん身体障害のせいなのだろうが、どういうロジックでそこに穴が開いたり血豆ができるのだろう。

 

 

歩いているときに気を付けていると、どうも爪先が靴を押してしまって血豆が出来ているのだろう。

よく分からないが、面倒なので親指の爪は深爪くらい思い切って切っている。物は試しだ。

 

私は好きなように外出し、好きなように歩ける。

やっぱり歩くのは好きなようだ。

 

実は、先週も転んだ。会社帰りに平坦な道を歩いていて転んだ。

初めは派手に転んで右膝の膝蓋骨を骨折した。そのあとも、何度も転んで同じ右膝を打ってしまう。血も出るが、感覚麻痺のせいかあまり痛くない。

今後転んだことで危ない結果にならないか当然心配はあるが、もう気にしていられない。

 

普通の大人だったら、こんな派手な転び方なんでしない。

でも、もう恥ずかしいという気持ちも無くなってきた。

 

元々は身体を動かすことがあまり好きではなかった。

ストレッチは、始めると面倒に感じる。

 

私は、朝起きてまだ布団の中に寝そべっているときから、寝たまま膝を曲げるストレッチを始める。

だんだんやる気が出てきて、しっかりしたストレッチをしたくなる。

これだとサボらずに毎朝続けられる。

やったことがちょっと嬉しい。

 

 

 

最近感じているが、身体障害は“やる気”なモチベーションが絶対的に必要なのだろう。

 

脳障害になると、たぶん誰でも初めの半年はドンドン回復する。

でも、それが終わると劇的な成長なんて有り得ない。

それが身体障害者。簡単に元通りになるのなら、障害者ではない。

少しずつ自分特有の歩きづらさを治そうとするしか無い。

場合によっては、その訓練が悪影響を及ぼすこともある。

 

つまり、いろいろウジウジ悩んでも何も解決せず、間違いだってとにかく実践することが大切なのだろう。

最近見ていた『家なき子』のようだ。すがれるものならなんだって手に入れる。雑草のように生きてやる。

無様な歩き方でも、恥ずかしくなんてない。

 

過去の私にはまったく向いていない努力。でも、もう何を言っても仕方ない。

そもそも、身体障害者は運動を人と比べる事なんてできない。比較できるのは、過去の自分だけだ。

 

 

 

そんな気持ちでいるが、それでも時々イライラする。

昨夜はあんなに歩きやすかったのに、今朝の足は何でこんなに重いんだ。

 

だが、その原因の一部が、つい最近ようやく分かった。

 

この体調の不具合は、チョコレートが原因のようだ。

 

毎晩のように、ホットウィスキーを飲みながらチョコ系のお菓子を食べている。

障害者になる前と比べて、体重が5kgくらい瘦せたし、何故か甘いものが好きになった。

それが原因なのかもしれない。いや、おそらく違いない。

 

それを妻に言うと、「以前から分かってたよ。でも自分で気付かないと変えたいと思わないだろうから。糖分だからね」と返ってきた。

確かに、食べたらダメだと言われたって納得できなかっただろう。

 

幸い、この体調不良は長く続くわけではないようだ。実際1~2日チョコレートを食べなかったら歩幅も広くなった。

なんだか、自分が理解できていない現象で身体の不調が起きるなんて、性能の悪いロボットのようだ。

いや、もう齢でもあるのだから、そういう知見をある程度理解しておく必要があるのだろう。

 

とりあえず、チョコレート系のつまみはしばらく食べないことにした。

 

 

 

最近は、自分が障害者になった当初の頃のことをほとんど思い出さなくなっていた。

そう思って、改めて思い出してみると、なかなか誰にも味わえない経験だった。

 

病院のベッドに1ヶ月半横たわっていたのに、突然リハビリとして歩かされたときは、かなり驚いた。

もう歩けないんだから、無茶するな、と。

失語症&注意障害で、それをリハビリ士に言うこともできず、振り回されているような気分だった。

 

そのあと、回復期病棟では理学療法士が私に杖を履かせて、野外を歩行させたことがある。

たぶん患者みんなにやっている当たり前なリハビリなのだろう。

私としては、こんなことやりたいなんて思ってなかった。

視野欠損のせいなのか、地面の前後の見えなさがアリアリと感じられる。勘弁してくれと思った。

だれが見ても平坦な道なのだが、私にとっての野外の道のデコボコは、危険なダンジョンだった。

 

その後も、おしっこやうんちなど、自分の思うようにまったく制御できないことが分かる。もう生きる意味にも真剣に悩んだ。

 

でも、その急性期病院と回復期病棟から半年で、一人近所の道を歩けるようになった。

倒れてから1~2年は、障害者と位置付けられるいろんな人について、性格が変わったりやる気が出なくなる人のことを良く考えていた。

私もまさにそうなったのだから、働きたくなんてならなくて、何にもしたくなくなるのではないかと空恐ろしかった。

 

でも、そうはならなかった。

今も毎日会社に行っている。

 

外を歩けるのは、思っている以上に有り難い。

道で綺麗な光景を見ると、なんだか感動する。

 

その感謝は、私は忘れないようにしよう。

 

 

 

私のブログは、次を最後とする。