~プロフィール~
福岡出身。現在38歳。
2010年 大阪のシステムインテグレータに就職。
2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。
失語症・失行・注意障害・記憶障害など。
身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。
麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。
妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。
7月末まで休職中。8月から復職予定。
こんにちは。
今月、息子たちの学校公開があった。
授業参観とは違い、特定の一時間だけではなく、一日中好きなときに教室に入り、自分の子どもを見れる。
長男が小学校に入った年は、2020年4月だった。
新型コロナで、始めのうちは登校も出来なかった。
まぁ、私は急性期病院に入院していて、何が起きているのかもサッパリ分かっていなかったから、それさえも知らなかった。
授業参観も、去年度までは無かった。
今回は、息子たちにとって初めての学校公開。
ただ、私が知ったのは、学校公開の前日だった。
特に長く見たいとも思わなかったし、私の身体では長くいることは大変だろう。
だから、特に早起きや準備もしなかった。
自宅から小学校まで歩いて行くのに、15~20分くらい掛かる。
妻は仕事があるので、1時間目だけ見るそうだ。
私は朝食を摂って、ストレッチしたりするところから始まった。
一応保護者の皆さんと会うのだから、新しい服を着て、髪にジェルを付けたりしていると、結局小学校に着いたのは1時間目が終わりそうな時間だった。
息子たちの時間割りは、妻から聞いていた。
初めは、下駄箱から一番近い、2階の次男の教室に行った。

次男は私の顔を見て怒ったりするかも知れないと思っていたが、顔を合わせると怒るというより恥ずかしそうな顔をしていた。
でも、笑っていたから、おそらく嫌われてはいないだろう。
そのクラスには、保護者は私の他に1~2人だけだった。
担任の先生は、私に椅子を貸してくれた。私はやり過ぎなくらいに感謝を伝えた。
次男の2時間目は国語だった。『スイミー』。
私もよーく覚えている。文章を全部暗記するくらい好きだった。
先生は生徒に質問をするのだが、私が見ているからなのか、次男は全然手を挙げなかった。
あとから妻に聞いた話だが、次男はみんなが手を挙げるときではなく、みんなが分からなくて誰も手を挙げていないときに、静かに手を挙げるそうだ。
それ、私が小学校高学年の頃にやっていたことじゃないか。
自分の優位性をクラスメイトに示そうと、自信満々で手を挙げていた。
小学2年生なのに、もうそこまでたどり着いているのか。
まぁ、その数年後、結局そんなに賢いわけではないことを知ったりするものだけれど。
途中から、長男のクラスに行くことにした。
授業は算数。
小数点の問題で、私には懐かしい気持ちがした。
最後は、先生の出した問題を各自ノートに書いて、答えを先生に見せに行く。
長男は、少し遅い着手だった。
2時間目が終わると、中休み。休み時間でも終わっていない子どもはいたが、みんなそれぞれ終わって部屋から出ていく。
長男はまだやり直しを続けていた。結局、最後の正解者だった。
私だったら、結構ツラい気持ちになりそうだ。
と思っていたが、当の長男はそうでもなさそう。
息子が悲しくなければ、全然構わない。
これからきっと勉強も楽しくなっていくだろう。
妻に聞くと、長男は最近ドンドン出来ることが増えてきていると、担任の先生からも言われているそうだ。
というか、自分の小学生だった頃を思い出してきた。
私は、宿題をほとんどサボっていたし、勉強などドンケツに近いような学力だった。
さらに、体育も苦手で、いつも怯えていた。
人に教えてもらうことも怖かったし、きっとなんにもできない人間のままだろうと思っていた。
それと比べれば、圧倒的に“デキる子”だ。
元々私は息子たちにあまり厳しいことは言わない。
でも、今後は時々、息子たちに勉強の状況を聞いてみようと思う。
いや、どんな勉強が、どんな風に面白いのか、聞いてみたい。
そんなこと、父親にしかできない貴重な体験だ。
知り合いの保護者とも、たまたま数人会った。
障害者だからなのか、声を掛けてくれる。
正直、声を掛けられないと知り合いなのかも分からないし、それが誰なのかも分からない。毎回名前や会った場所を聞いた。
いや、これが障害者だからなのかは、よく分からない。
元々そんなに人のことを覚えるのが苦手だし、覚えようとすることもなかった。
おそらく男性の保護者に声を掛ける人なんて、割りと少ないのではないだろうか。
こういう知り合いも、大切なつながりだと感じた。
結局、この学校公開は終わりまで全部見させてもらった。
放課後、次男と一緒に家に帰った。
帰る直前に、長男とも一緒に帰ろうと言っていたのだが、靴箱で私が靴を履くのに手間取って、置いて行かれたようだ。
次男だけではなく、何人もの友だちが一緒に歩いて帰っていた。
みんな当然、私のような杖を持っている父親はいない。
女の子が「その杖はなんで持っているの?」とか明るい声で聞いてくる。
そういえば、私も自分が杖を持つまで、杖の意味がよく分かっていなかった。
「歩けるんだったら杖なんていらないじゃないか」と。
「ないと転ぶんだよ。でも、だんだん慣れてきたから、杖がなくてもほとんど大丈夫!」
すると、私の次男は杖を奪い取って、自宅に向かって走って行った。
おそらく、私に身体障害があったり、精神障害・高次脳機能障害があっても、息子たちは誰かに蔑まされたりはしていないのだろう。
正直いって、この日学校に行ってから、そんな危険性があるのではないかと思って後悔していた。
先生方にも、私の障害を目の当たりにして、息子たちの成績に妥当性を感じたりしているのではないかと勝手な不安を感じていた。
でも、結果的には学校公開を充分楽しませてもらった。
息子たちは、明るい学校生活を送っている。
私の障害についても、自分の成長をつくっていこう。
障害者になったからといって、回復期が終わって、このまま成長しないのではない。
そのことが少しずつ分かってきた。
頑張れば、そのぶん出来ることが増えていくはず。
それは、勝手に起きるわけではない。
自分でつくっていくモノだ。