~プロフィール~
福岡出身。現在38歳。
2010年 大阪のシステムインテグレータに就職。
2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。
失語症・失行・注意障害・記憶障害など。
身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。
麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。
妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。
7月末まで休職中。8月から復職予定。
こんにちは。
就労移行支援施設は、先月末に“卒業”した。
これから1ヶ月間、復職に向けて身体を鍛えようと思っていた。
が、火曜日から喉に違和感を感じる。
実は、妻が1ヶ月前から喉の痛みを訴えていた。
私は自分じゃないから、特に気にしていなかったし、ろくに聞いてもいなかった。
先週からは息子たちも同じように、喉の痛みを感じているようだった。
近所の医院に行ったとは聞いていた。
もしかして、私も感染したのか?
でも、熱があるわけでもない。
いろいろ思ったが、高次脳機能障害のせいなのか、頭部のどこがどう痛いのか考えようとすると、目なのか鼻なのか口なのか、頓珍漢な場所を想像したりする。
そうではないことも、自分で分かっていても、考えようとしても異様にたどり着けない。
というか、これを『高次脳機能障害』と考えること自体、元々障害者になる前から出来なかったいろんなことを一言でいえてしまうから、自分でみっともないことだと思っている。
考えれば考えるだけ嫌になるので、一人でストレッチや散歩などをやっていた。
結局、回復など全然しなかった。
熱があるわけでもないのに、何もしたくなくなる。
妻に冗談で「高次脳機能障害だから、病院に行きたいっていう言葉を言い忘れてたんだよ!」というと、「あんたのは高次脳機能障害じゃなくて、単にお金遣いたくないだけでしょうが」と言われた。
妻以外とこんな会話にはならないだろう。妻とはもう別れられないな。
医院に行くしかない。
息子たちが行った耳鼻咽喉科に、私も行こうと思ったのだが、木曜日はお休みだった。
昨日、金曜日に診察してもらうと、案の定私も鼻炎だった。
お医者さんは6~70代くらい。
“医院”は病院と違い、医師が3人いなくても設置できる。この医院は、そのお医者さん一人だけが担当している。
診察室は一部屋で、待合室・看護師室の他にはこの部屋しかない。
丁寧に私の喉を見てくれて、なにかの薬を塗ってくれた。
危うく咳き込みそうだったが、実際に咳き込むことはなかった。
私の感覚だが、どれくらいで咳が出るのかなどを分かって見てくれているような気がした。
安心を感じた。
あとから妻にその話をすると、そのお医者さんは耳鼻咽喉科の仕事が大好きなようだ。
熱心に学会にも行っているそうだし、沢山いる患者のことも雑に扱わないそうだ。
私も実際に診てもらったから、間違いない。
看護師さんたちも優しかった。
杖を持っている私だが、室内で杖を持ち歩くのは迷惑かと思い、ゆっくり歩いていたが、看護師さんがところどころ邪魔にならないくらいの程度で助けてくれた。
こういう体験をしたことで思ったことがある。
私は、もっと高い給料や面白い遊び場所などを重視していた。
サラリーマンだから、仕事時間と成果を期待するし、時間以上の勤務は会社にもむしろダメだと言われていた。
けれども、このお医者さんは、自分の仕事が大好きだし、自分の治療の幅を大きくすることに誇りを持っているのだろう。
休暇が多い方がいいとか、給料が多い方がいいとか、そんな次元と全く違う世界で生きている。
そもそも、人間は誰でも最期は終わる。
他にいろんなことが出来なくなっても、自分の人生を有意義に楽しんだ方が、絶対に幸せを感じるはずだ。
私なんて、これまでやっていた仕事もろくに出来なくなったが、自分の誇りに思うものを積み重ねて、最期は幸せな顔で死にたいと思う。
かなり早めな辞世の句のように見えると思うが、もう少し生きたいと思う。
日本は高齢化社会・高齢社会・超高齢社会とドンドン年寄りが増えている。
その中で、社会に役立つ人間であればいいが、寝たきりで誰の役にも立たない人間にはなりたくないと思っている。
最近、『健康寿命』という言葉を聞く。その健康寿命が終われば、すみやかにお暇したい。
今でも、会社に戻ったら自分の存在意義を創りたいと思っている。
それを未来の自分に書き残しておく。