こんにちは。
37歳、サラリーマン、絶賛休職中。
先週書いた“夢”というのは、自分が思い描こうとする理想のことを云っていた。
今日書くのは、ちょっと違う“夢”。
最近の私は、長男にこんなことを言うこともある。
「お前はもう、2時間もテレビゲームやってるじゃないか。そろそろ止めろよ」
すると、長男は、
「とうちゃんがブログを書く時間より短いじゃん!」
と言われる。(息子には読ませてはいないし、読もうともされていない)
私が小学生だった時は、テレビゲームの時間は一日30分までだった。
それを長男に言うと、「そんなわけ無いじゃん!」と本気で言う。
この長男は、もうすでに良く見えていないらしい。
そのことが、私としてはちょっと気になる。
私がメガネを掛け始めたのは、高校生中盤からだった。
それまでは遠くまでハッキリ見えていた。
現在の私がメガネを掛けているので、長男にとっては目が悪くなるのは普通だと思っているそうだ。
考えてみれば、息子たちと私は、相当に違う育ち方をしている。
一つの例として、息子たちはカブトムシやクワガタなどをもらって、自分の手で触って可愛がり、玄関で育てている。
それは、妻の教育が良かったのだろう。妻は、息子たちが虫嫌いにならないように、小さい頃から昆虫採集などもしていた。
逆に私は、虫が物凄く嫌いだった。
蝉取りなどは本当に怖くて、一旦虫取り網で捕まえられても、鳴き声に挫けて全く籠に入れられなかった。
誘った父からは、ちょっと怒られていた気がする。
息子たちは、いろんな人と喋ることができる。
特に、小学一年生になった次男には、心底驚いた。
自宅で家族全員いた時に、私の妻、つまり次男の母が、私と次男の二人に、近くのスーパーに行って買ってきて欲しい物を伝えていた。
スーパーに着くと、次男は私に「聞いてくるね!」と、全く躊躇わずに店員さんに話しかけ、はっきりと買う物の場所を聞いていた。
一方、私の情けない話だが、知らない人と話すことが相当に苦手だった。
怖くて嫌だった。
「自分は何もできないんだから、しょうがないじゃないか…」と、極力誰とも関わらないように生きようと思っていた。
なんとか仲良くなった1~2人の友達とだけ話していたから、スーパーの店員などと話すことなど全く出来なかった。
私が割と他人と話せるようになったのは、小学5年生ごろになってからだ。
担任の先生の算数の教え方が魅力的で、私にはハマった。
挙手して話すのも楽しかったから、意見が間違いでも全く構わなかった。
もしかすると、私が勉強も好きになったのは、父から怒られることが減ったおかげなのかもしれない。
その数年前の私は、“脚気”のような歩き方だった。原因は、私には分からなかった。
というか、内心では、仮病というのか、痛いと思いたかった気がする。
両親に連れられて、病院に行った。
診断結果は、私が大人になって聞いたのだが、医師によると、父の叱り方のせいかもしれないと言われたそうだ。
殴ったりしない父で、理想的な育て方をしていたのだと思うのだが、一方の私がついていけていなかったのだろう。
もちろん、今では父のことを怖いとは全く思っていない。
私のブログを読む人には、父が悪いと誤解されたくはない。
むしろ、現在障害者になった私の方が、エラソーに話してしまっている。
※
ただ、ちょっと前に父が私の家に来た時に、単なる冗談で私の息子たちに怒鳴ったら、私の肩がびくっと震えた。息子たちは平気で笑っていた。
私のこの精神的なトラウマは、一生消えないのかもしれない。
もちろん、全く嫌ではない。
父はもうすぐ会社を去るそうだ。昔は怪我で骨を痛めて走ることもなかったのだが、山登りを毎週のように行っていた。5年位前からは、マラソンなどもしているそうだ。
身体障害者になった私も、自分の理想を貫いていこうと思う。
そんな訳で、私と息子たちは、親子ではあるが、“同じ”では全く無い。
それに気付いたことを残しておきたかった。
当たり前なのだが。
時代も、私が子どもの頃に考えていたよりも、すごく早く変わって往く。
父と私も大きく違うし、父と祖父も大きく違う。
大正生まれの祖父と、昭和中期生まれの父と、昭和末期の私。
血は継いでいて、共通点は色々とあるのだろうが、生活基盤は大きく違う。
祖父は、第二次世界大戦時、日本の外で戦ったこともあると聞いた。
隊の上官から、射撃精度が高いと褒められたこともあるそうだ。
私が考えている“夢”などは、祖父は全く考えたこともないかも知れない。
祖父と私を比べると、悲観的なことしか考えられないヘタレだと云える。
全然違うキャラクターだと考えた方がいいのだろう。
そう、この息子たちも、私とは全く違う人間になって往くのだろう。
※
ちなみに、父方でも母方でも、家系ではたった2代前からしか知らない
その前の先祖がどこに住んでいたのかとか、どんな職をしていたのかとか、全く知らない。
私は結婚式の時にプロモーションビデオを作ってみんなに見せたが、冒頭は妻と私の家紋を載せた。
日本人であることに誇りを持っていたが、考えてみれば自分の先祖代々をほとんど知らない。
昔聴いた歌詞の、ストーリーだけを、今でも覚えている。
お父さんのクルマに乗っていると、月が一緒について来る
子どもの頃の私は、父のクルマに乗って、毎週のように1時間離れた祖父の家に行っていた。
その時に見た月も、そんなふうに感じていた。
自分のクルマから見える、素早く過ぎゆく道端のビルなどと比べると、位置が全く変わらない月。
※
私はYUKIの歌かと思っていて、近い内容の『プリズム』を見つけはしたが、ちょっと違う気もする。
もし知っている方がいれば、教えてください。
月がついて来るように視える理由は、今はもちろん知っているし、理解している。
地球と月は、38万km以上も離れている。
だが、幼い子供は、その位置間隔を全く知らないから、そのように“ついて来る”ように視える。
今の私には、全く月がついて来ているようには感じない。
私の高次脳機能障害では、色んな不自由があるのに、そんなメルヘンな夢を見せてはくれない。
ちょっとだけ、残念にも思う。


