こんばんは。

 

37歳、サラリーマン、絶賛休職中。

 

 

 

私が勤めている会社は、高次脳機能障害になった私には、復職しても無理なことはさせないだろう。

他社や他部の人たちとの“勝負”みたいなことはさせないのだろう。

 

私自身は、精神科にも通ったことがあるのだが、どちらかというと、勝負事がとても好きだった。

私の生きる価値だと思っていた。

 

「みんな なかよし♡」みたいなことは、あまり趣味では無かった。

相手が間違っていることを伝える方が好きだったし、人から指摘されることも為になって嬉しかった。

 

そう、私は上司に怒られるのがとても嬉しかった。

直属の上司もそうだが、部長などに叱ってもらうのは、とても為になっていた。

 

しかし、それはもう、させてはもらえないのだろう。

高次脳機能障害を持った私。会社の方も、腫れ物を触るような会話になるのだろう。

私だって、もう人が何を言っているのかも分からないので、怖い。

 

でも、やりたい気持ちだけは残っている。

これは、本当に、本当に悔しい。

 

 

 

5年頃前(仕事を初めて5年後頃)、割と仕事が出来るようになってきて、自分のキャラチェン(『キャラクターチェンジ』、つまり心持ちを変えること)をしようとしていたような気がする。

仕事をもっと真剣に、考えられる全てを注いで、“成功者”に成りたかった。

 

仕事をしていた時、何人かの初対面のお客様たちへ、私の所属しているチームが作った資料を説明する事があった。

自分のチーム内の人は、私が伝えていた通りほどんど手伝わず、ほぼ私だけが説明して、お客様から質疑を受けていた。

そういった仕事が、とても好きだった。

 

初めての説明会にしては、割と上手く喋れたように思う。

勝手に舌が動いていた。

 

「この仕事、結構私に向いているんじゃないのか?」

とも思った。

 

今の私の状態だから、敢えて書いている。

書かないと、失語症になった私を、誰にも信じてもらえないだろうから。

 

 

 

考えてみれば、この時のように前向きな気持ちになったのは、今より一つ前の上司に勧められたことのおかげなのだろう。

それは、私自身の“見た目”を替える事。

 

それまでは、普っ通の眼鏡を掛けていたし、ヘアワックスなどは全く使わなかった。

 

その上司は、

「笑福亭笑瓶みたいな眼鏡掛けたら目立つんじゃない?」

と笑いながら言ってくれた。

「ハハハ、それはイヤですよ。でも、考えてみます」

私はそう答えた。

 

その方のおかげで、眼鏡は他人から覚えられやすい形に変えた。

 

ヘアワックスも、ガチガチに固まるスタイリング剤に変えた。

お風呂に入る時間を朝に変えたのも、ヘアワックスをキメキメにする為だ。

 

ハッキリいう。

仕事自体というよりは、私は眼鏡や髪形などの“カタチ”によって自信を持つようになった。

 

外見を気にすることで、チームメンバーやお客様との会話をしやすくなり、積極的な発言ができるようになった。

 

 

 

そんなこんなで、“だから”なのだろう。

 

妻には色々な我がままを言い放題だった。

妻には、今でも小言を言われてしまうし、間違いではないので私には逆らうことはできない。

 

障害者になる直前頃、私は父にもこんなことを言った。

「とーちゃん、ウチ(大阪)に住んでもいいよ。でも、そのときは家の主は俺だから。とーちゃんじゃないから」

そのことは覚えている。

 

母もびっくりしたそうだ。

私が2年前に死に掛けた時、妻や両親が私のことを“死んだ人”のように話していたらしい。

反省。

 

 

 

昨日、私が仕事をしていた時のビジネススタイルを着て、就労移行支援施設へ行った。

 

理由は、服が足りてなかっただけなのだが、この事でようやく分かったことがある。

こうして綺麗な服を着ることで、気持ちがシャキッと引き締まるのだ。

麻痺などで、ボタンを留めるのも難しいのだが、それでも心が引き締まる。

 

仕事をしていた時は、出来ることが増えて楽しかったのだ。

仕事で、人の役に立って、お金まで頂ける。

その喜びを知らない人は、どこの就労移行支援施設でも、たくさんいるのだろう。

 

小学生が勉強を嫌いになる理由は、私にもよく分かる。

その後の楽しみを、体験していないからだ。

実際に体験すると、やりたくなるはずだ。

 

 

 

私も、楽しい人生を送りたいなぁ。

会社の人事には、自宅勤務でも構わないと言われている。

その上、コロナでほどんどの社員が、社屋に来ないそうだ。

 

やっぱり、ビジネススタイルで外に出て、仕事したいよなぁ…。

 

 

あ、ちなみに、このように私のブログで自分の写真を撮ることは多いのだが、障害者になる前は自分の写真を自分で撮ることはなかったし、妻が撮ることもなかった。

私の写真があるのは、今ブログを書いているからであって、初めて自分でしているからだ。

 

あと、この髭は、マスクを付けているから関係ないと思っていたから、ほぼ全く手入れしていない。

ビジネススタイルの写真を撮ろうと思ったその時の写真だ。

 

それから、私の頭は手術で少し剥げている。