重い内容なのですが、でも自分にとってはずっとこれからも抱えていかなくてはならないことなので残しておきたいと思います。


次男坊が亡くなる1ヶ月ほど前、最期は在宅医療で自宅からと望んでいた私のために大学病院のケースワーカーさんが地元の在宅医療専門の個人病院の医院長との面談を進めてくれました。


その時、次男坊が数日前に肺炎を起こし、重篤な状態になったときのレントゲン写真が写し出されていました。


肺は真っ白でした。


「この状態からよく持ち直しましたよね。普通だったら死んでる状態です。」

「これ以上の治療はいいんじゃないですか?」

「息子さんはもうじゅうぶんに頑張りました。」



この意味は、生きようとする治療はやめてモルヒネ等を使って残りの時間を自宅で安らかに過ごしたらいいのでは?だったと思います。


初対面の医師です、これまでの次男坊の闘病もカルテを通してしか知りません。


息子さんはなんて言ってますか?


その問いに、

「子供はもう話すことはできません。でもきっと生きたいと思っていると思います。」


涙をこらえてそれだけ伝えるのが精一杯でした。


「それは親の勝手な考えでしょ、息子さんがそう言っているわけではないでしょう。」


「これ以上生かそうとするのは親のエゴです。」


そこまでで面談は終わり。

予想していなかった展開に、ケースワーカーさんがひたすら謝ってくれて、「大丈夫ですよ」と笑って答えたけど。


すぐにカウンセラーさんが病室に来てくれて、何気ない世間話をするように、でも優しく気遣ってくれながら私に話しかけてくれました。

ポロポロと泣きながら、次男坊がどんないい子だったか私にとって宝物だったかきいてもらいました。


もしこの出来事がなければ、私は子供の病気を支えたしっかりした母だと自分で自分のことを認めていたかも。


でも違う。


最近、次男坊の入院中の夢を見ることが多くなり、泣きながら起きることも。


私の判断は正しかったのか?

私があの子の生を願ったことは、あの子を苦しめただけではなかったのか?


私がこの世を離れるまで考えつづけなくてはならない課題です。


それが私の自責の念、次男坊への罪滅ぼしだと思っています。



気管切開後の次男坊の様子。

これから1ヶ月も生きることは出来なかったのに、辛い思いをさせてしまった。


私は正しかったのか、間違っていたのか?


でも、私は、一分一秒でも、息をしているだけでもいいから、そばにいてほしかった。