6/2(木曜日)ついに僕のお店、鎌倉のイタリアン「リッチョーネ」がリニューアルオープンします!
やっと皆様に自信持って来てもらいたいと思える店になりました。
味、接客、音楽、雰囲気、提供時間、値段…etc
挙げればキリがないほど治す所ばかりで、こうして皆様に宣伝できるようになるまでに半年もかかってしまいました。
まだまだツッコミ所はあるかと思いますが、是非とも温かく厳しい意見を頂戴出来ればと思っています。
一切の妥協はなく成長していきたいと思っています!!
石窯で焼くアツアツピッツァ、地を生かした新鮮な海の幸、みずみずしい鎌倉野菜、こだわりの肉を備長炭で。自慢は天才ドルチェ職人が作る自家製ケーキ♫
100種類以上のワインと共に至福の時をお過ごしください!!
是非とも遊びに来て下さい☆
湘南イタリアン
「Riccione(リッチョーネ)」
0467-24-5491
http://www.riccione.jp
(まだメニューがあたらしくなってないのでゴメンなさい)
鎌倉駅東口から徒歩5分。
八幡宮へ向かうメインストリート左側です!!
営業時間
11:00~20:00(L.O)
ホットな情報は
Twitter
@riccione1991
フォローお願いします☆
よろしくお願います!!
iPhoneからの投稿
やっと皆様に自信持って来てもらいたいと思える店になりました。
味、接客、音楽、雰囲気、提供時間、値段…etc
挙げればキリがないほど治す所ばかりで、こうして皆様に宣伝できるようになるまでに半年もかかってしまいました。
まだまだツッコミ所はあるかと思いますが、是非とも温かく厳しい意見を頂戴出来ればと思っています。
一切の妥協はなく成長していきたいと思っています!!
石窯で焼くアツアツピッツァ、地を生かした新鮮な海の幸、みずみずしい鎌倉野菜、こだわりの肉を備長炭で。自慢は天才ドルチェ職人が作る自家製ケーキ♫
100種類以上のワインと共に至福の時をお過ごしください!!
是非とも遊びに来て下さい☆
湘南イタリアン
「Riccione(リッチョーネ)」
0467-24-5491
http://www.riccione.jp
(まだメニューがあたらしくなってないのでゴメンなさい)
鎌倉駅東口から徒歩5分。
八幡宮へ向かうメインストリート左側です!!
営業時間
11:00~20:00(L.O)
ホットな情報は
@riccione1991
フォローお願いします☆
よろしくお願います!!
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中学高校と6年間もの間、監獄のような寮生活を強いられ青春時代を茨城県の田舎で過ごした。
かーちゃんが見つけた寮のある私立の学校をオヤジが気に入り、他の試験日より早かった為、お試しで練習も兼ねて受験した。
その学校しか受からなかったのも運命だったんだろうな。
12歳のマザコン坊主だった僕は、入寮の日に茨城まで荷物を車で運んで送ってくれた両親と別れるのがとても辛くて、それを言えずにいた。
オヤジが私物に名前を書いてくれている背中を黙って見ていた。
僕の事を大好きなかーちゃんはきっと涙をこらえまくっていたんだと思う。
名前を書き終えると、オヤジは少しの小遣いを渡し
「じゃーな」
とだけ言い残し、かーちゃんは涙を目にためながら黙って去って行った。
それから毎朝6時起床、掃除洗濯、テレビ、漫画等の一切の娯楽禁止、門限5時半というのべ200人くらいの共同監獄生活が始まった。
ただ、そんな事はたいした事ではなく何よりも辛かったのが、誰も知らない寮に入り、四六時中先輩と生活する事がとてもキツかった。
実際、何人かの同級生が寮を出たり、学校を辞めたりした。
一ヶ月後のGWに実家に帰れた時は、寮で過ごした一ヶ月が本当に長く感じられたし、実家のご飯が美味しく感じ、テレビが楽しく感じ、門限のない生活に自由を感じ、二度と戻りたくないと思った。
そんな楽しいGWはあっという間に終わり、茨城に帰りたくないとゴネた僕はオヤジに殴られた。
家に帰る毎にそんなだった。
ふてくされながら、二時間半かけて茨城に帰った。
常磐線上野発。
上野から発車した電車の窓からは段々と街の明かりがなくなり、家が減り、田んぼが増え、学校のある駅につく頃には気温も下がり、駅に降り立つと吐き気がする程嫌な気分になったのを覚えている。
そこからバスに20分乗りやっと寮に到着。
18時の寮のクソ不味いご飯をみんなで食べる。
不味い黄色い米に、不味い味噌汁にぺらっぺらの肉が二枚。あとは漬け物。
味がないので、なんでも醤油をかけてごまかして食べる。
今でもなんでも基本醤油をかける癖が治らない。
成長期の若者にはそんな少しの晩飯では当然足りるはずもなく、20時頃には腹が減る。
しかし、カップラーメンは禁止。
お湯はあるのに。。
隠れて食べて見つかれば、停学もあり得る。匂いでバレるので、食べる時は心臓バクバク言わせながら必死で流し込む。
なのでもっぱらお湯で温めたレトルトのカレーや缶詰めを晩飯時の残飯の冷めたご飯にかける。
当然レンジなどはない。
アイロンを逆さにしてその上でレトルトを温めたりもした。
カレーマルシェは憧れの味だった。
ボンカレーは食い飽きた。
テスト期間中になると、近くのコンビニに昼、夜中と先輩の夜食を買いに行かされる。
近くと行ってもそこは茨城。
歩いて行けば20分くらいの距離。
夜は鉄壁のフェンスをよじ登ったり、時には番犬にバレないようフェンスの下に穴を掘り軍隊さながらの匍匐前進で下界に出た。
買ったアイスが溶けると殺されるから、ダッシュで帰ってくる。
学校から部屋に帰れば、コテをつけて先輩とボクシング。
後輩の自分が先輩を殴れる訳がなく、ストレスのはけ口となる。
ひたすら耐える。
夜は先輩が寝るまでマッサージをし続ける。
ここまで書くと本当に悲惨だったなぁと我ながらに思うけど、当然楽しい事もあった。
辛い境遇を共にする友達。
みんなでたくさんの悪さをした。
悪さと言っても可愛いもので、ベッドの中に四人くらいで隠れながら懐中電灯でエロ本を読んだり、脱走してコンビニに行ってカップラーメンを食べたり程度の事。
休みの日にはみんなでカブト虫とかザリガニをとりにいく。
とんでもなく健康的だけど、友達と一緒にするそんな事が本当に楽しかった。
上級生になれば、当然のように後輩が出来るわけで、後輩には自分がされてきた事を繰り返す事はしないように負の連鎖を断ち切った、
なんて気持ちはさらさらなく、今思えばとんでもない事を後輩にやらせては楽しんでいた。
何度も先生にバレて停学にもなった。
停学になる毎に、尾崎豊とブルーハーツが好きになった。
そんな学校で6年間を過ごした。
本当に良い先生は少なく、とんでもない学校だったなと改めて思う。
でも、帰りたくないとゴネる自分をぶん殴り寮に帰れと怒鳴ったオヤジには本当に心から感謝している。
あの学校を探してくれたかーちゃんには感謝してもしきれない。
当時は本気で辞めたかったけど、友達の存在や両親の説得により思いとどまった。
ラグビーは途中で親の説得も聞かず辞めちゃったけど、あれはあれで良い判断だと思っている。
後悔はまったくない。
あの寮生活で先生から学んだ事はまったく思い出にもないけど、集団生活における社会性、協調性、自己主張の大切さを学んだ。
こんな事を録画した金八ファイナルを見ながら思った昨晩の夜。
さて、計算通りに毎日ようやく楽しくなってきたぞ。
これからがいざ、勝負。
どんな世界でもズルしないで生きてきた奴が最強。
そんな世の中である事を感じることが出来たらいいな。
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かーちゃんが見つけた寮のある私立の学校をオヤジが気に入り、他の試験日より早かった為、お試しで練習も兼ねて受験した。
その学校しか受からなかったのも運命だったんだろうな。
12歳のマザコン坊主だった僕は、入寮の日に茨城まで荷物を車で運んで送ってくれた両親と別れるのがとても辛くて、それを言えずにいた。
オヤジが私物に名前を書いてくれている背中を黙って見ていた。
僕の事を大好きなかーちゃんはきっと涙をこらえまくっていたんだと思う。
名前を書き終えると、オヤジは少しの小遣いを渡し
「じゃーな」
とだけ言い残し、かーちゃんは涙を目にためながら黙って去って行った。
それから毎朝6時起床、掃除洗濯、テレビ、漫画等の一切の娯楽禁止、門限5時半というのべ200人くらいの共同監獄生活が始まった。
ただ、そんな事はたいした事ではなく何よりも辛かったのが、誰も知らない寮に入り、四六時中先輩と生活する事がとてもキツかった。
実際、何人かの同級生が寮を出たり、学校を辞めたりした。
一ヶ月後のGWに実家に帰れた時は、寮で過ごした一ヶ月が本当に長く感じられたし、実家のご飯が美味しく感じ、テレビが楽しく感じ、門限のない生活に自由を感じ、二度と戻りたくないと思った。
そんな楽しいGWはあっという間に終わり、茨城に帰りたくないとゴネた僕はオヤジに殴られた。
家に帰る毎にそんなだった。
ふてくされながら、二時間半かけて茨城に帰った。
常磐線上野発。
上野から発車した電車の窓からは段々と街の明かりがなくなり、家が減り、田んぼが増え、学校のある駅につく頃には気温も下がり、駅に降り立つと吐き気がする程嫌な気分になったのを覚えている。
そこからバスに20分乗りやっと寮に到着。
18時の寮のクソ不味いご飯をみんなで食べる。
不味い黄色い米に、不味い味噌汁にぺらっぺらの肉が二枚。あとは漬け物。
味がないので、なんでも醤油をかけてごまかして食べる。
今でもなんでも基本醤油をかける癖が治らない。
成長期の若者にはそんな少しの晩飯では当然足りるはずもなく、20時頃には腹が減る。
しかし、カップラーメンは禁止。
お湯はあるのに。。
隠れて食べて見つかれば、停学もあり得る。匂いでバレるので、食べる時は心臓バクバク言わせながら必死で流し込む。
なのでもっぱらお湯で温めたレトルトのカレーや缶詰めを晩飯時の残飯の冷めたご飯にかける。
当然レンジなどはない。
アイロンを逆さにしてその上でレトルトを温めたりもした。
カレーマルシェは憧れの味だった。
ボンカレーは食い飽きた。
テスト期間中になると、近くのコンビニに昼、夜中と先輩の夜食を買いに行かされる。
近くと行ってもそこは茨城。
歩いて行けば20分くらいの距離。
夜は鉄壁のフェンスをよじ登ったり、時には番犬にバレないようフェンスの下に穴を掘り軍隊さながらの匍匐前進で下界に出た。
買ったアイスが溶けると殺されるから、ダッシュで帰ってくる。
学校から部屋に帰れば、コテをつけて先輩とボクシング。
後輩の自分が先輩を殴れる訳がなく、ストレスのはけ口となる。
ひたすら耐える。
夜は先輩が寝るまでマッサージをし続ける。
ここまで書くと本当に悲惨だったなぁと我ながらに思うけど、当然楽しい事もあった。
辛い境遇を共にする友達。
みんなでたくさんの悪さをした。
悪さと言っても可愛いもので、ベッドの中に四人くらいで隠れながら懐中電灯でエロ本を読んだり、脱走してコンビニに行ってカップラーメンを食べたり程度の事。
休みの日にはみんなでカブト虫とかザリガニをとりにいく。
とんでもなく健康的だけど、友達と一緒にするそんな事が本当に楽しかった。
上級生になれば、当然のように後輩が出来るわけで、後輩には自分がされてきた事を繰り返す事はしないように負の連鎖を断ち切った、
なんて気持ちはさらさらなく、今思えばとんでもない事を後輩にやらせては楽しんでいた。
何度も先生にバレて停学にもなった。
停学になる毎に、尾崎豊とブルーハーツが好きになった。
そんな学校で6年間を過ごした。
本当に良い先生は少なく、とんでもない学校だったなと改めて思う。
でも、帰りたくないとゴネる自分をぶん殴り寮に帰れと怒鳴ったオヤジには本当に心から感謝している。
あの学校を探してくれたかーちゃんには感謝してもしきれない。
当時は本気で辞めたかったけど、友達の存在や両親の説得により思いとどまった。
ラグビーは途中で親の説得も聞かず辞めちゃったけど、あれはあれで良い判断だと思っている。
後悔はまったくない。
あの寮生活で先生から学んだ事はまったく思い出にもないけど、集団生活における社会性、協調性、自己主張の大切さを学んだ。
こんな事を録画した金八ファイナルを見ながら思った昨晩の夜。
さて、計算通りに毎日ようやく楽しくなってきたぞ。
これからがいざ、勝負。
どんな世界でもズルしないで生きてきた奴が最強。
そんな世の中である事を感じることが出来たらいいな。
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