渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -199ページ目

男女の材料

若くてきれいな女優さんのなかで、いちども振られたことがない、というひともいる。また、いちども本当に好きなひとに出会ったことがない、というひともいる。

恋愛というなにかは、人間の深い深い場所にある。普遍的(ふへんてき)でいて、それでもひとの数だけ、状況の数だけバリエーションがある。たぶん、だれかから教えてもらうものではないのかもしれない。失敗を繰り返し、学んでいく。

だから、じぶんが好きになる前に相手が舞い上がってしまったりする彼女たちはじつに不幸だ。

とくに終わりの兆(きざ)しがすこしでも見えるとき、プライドが先行しじぶんから先に振ってしまうようなら、それより先は見たことがないのだろう。


男女を演じるためには、少々材料が少なすぎる。

現場と焦燥感(しょうそうかん)

舞台と違い、映像では時系列を無視して撮影が進んでいく。


だから撮り終わって未来のキャラクターの行動が決まると、だんだんとほかのシーンの自由度が狭(せば)まっていく。


当然といえば当然だが、とくに舞台出身の役者は、何日も稽古期間が設(もう)けられていることに慣れているので、現場で試演してそれが即FIXされていくのには後悔を含む焦燥を感じる。



けれど、じつは舞台を経験していないタレントはもっと大変で、時間があっても準備の仕方が判らない。


ふわふわしたまま撮影を終え、漫然(まんぜん)とした悔いを残し、次にもまた同じことをしでかしたりする。

準備と即興

なんでも作り上げて参加することが、かならずしも現場にとっていいことにはならない。


準備すべきもの、現場でのインスピレーションに委(ゆだ)ねるべきもの。


こればかりは、ふだんからやっていないと判らない。