ユリイカ
ここしばらく、ずっとチャート(グラフ)を眺(なが)めていた。
なにか得体の知れないものを手にするとき、呆(あき)れるほど静観していると、ある日ふとアイディアや発見が生まれる。
脚本を読むときにも、初見と二度目以降では当然印象が変わってくる。
それを話が解った、だとか、セリフはおぼえた、とかで終わらせると、大切なものはいっさい入ってこない。
移動しているあいだも、なにか食べているときも、トイレでも風呂に入っていても、ベットに潜(もぐ)り込んでいるときでさえ、ぼやっと眺めている。
解らないのは、頭が悪いわけではない。
そうした時間の大切さを、知らないから。
5歳の子どもには、人生の全体像が、まだ見えない。
ところでチャートには種類がある。
といっても、あつかいはたやすい。
1分で1本のグラフ:1分足(あし)
5分で1本のグラフ:5分足
・
1時間で1本のグラフ:1時間足 ・
・
1日で1本のグラフ:日足(ひあし)
・
・
・
もちろん、細かい足はよく動く。
うまく行けば、上がって利益、下がって利益になるかもしれない。
だが、たいていはそううまく行かない。
ビビットに反応するグラフに、翻弄(ほんろう)されるのがオチだ。
損得(そんとく)に一喜一憂(いっきいちゆう)している。
木を見て森を見ない。
そんな状況は、ぼくにもある。
そんなときは、たいてい先に不安を感じているとき。
グラフは99%の確率で戻ってくる。
だが、そこまで損を抱えられるのは相応の資産家だけだ。
しかも金銭に直接作用されるものだから、どうしても神経質になるわけで。
そんなときすこし下がって視野を広げ、ぼーっと眺めて全体像を捉(とら)えていると、クセが判ってくる。
人間でいえば、そのひとのキャラクター自体であり、魅力であり、また弱点とも言える。
判ってしまえば、その単純さにおどろく。
ときどき損を被(こうむ)ったからって、そんなのは想定内だ。
いちおうのセーフティーネットを用意してさえすれば、問題はない。
チャートの動きは人間の心理そのもの。
そのへんを感じられるようになると、あいてへの愛情が生まれ、こちらにも余裕が生まれ、少々のことではびくともしなくなる。
なにか得体の知れないものを手にするとき、呆(あき)れるほど静観していると、ある日ふとアイディアや発見が生まれる。
脚本を読むときにも、初見と二度目以降では当然印象が変わってくる。
それを話が解った、だとか、セリフはおぼえた、とかで終わらせると、大切なものはいっさい入ってこない。
移動しているあいだも、なにか食べているときも、トイレでも風呂に入っていても、ベットに潜(もぐ)り込んでいるときでさえ、ぼやっと眺めている。
解らないのは、頭が悪いわけではない。
そうした時間の大切さを、知らないから。
5歳の子どもには、人生の全体像が、まだ見えない。
ところでチャートには種類がある。
といっても、あつかいはたやすい。
1分で1本のグラフ:1分足(あし)
5分で1本のグラフ:5分足
・
1時間で1本のグラフ:1時間足 ・
・
1日で1本のグラフ:日足(ひあし)
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もちろん、細かい足はよく動く。
うまく行けば、上がって利益、下がって利益になるかもしれない。
だが、たいていはそううまく行かない。
ビビットに反応するグラフに、翻弄(ほんろう)されるのがオチだ。
損得(そんとく)に一喜一憂(いっきいちゆう)している。
木を見て森を見ない。
そんな状況は、ぼくにもある。
そんなときは、たいてい先に不安を感じているとき。
グラフは99%の確率で戻ってくる。
だが、そこまで損を抱えられるのは相応の資産家だけだ。
しかも金銭に直接作用されるものだから、どうしても神経質になるわけで。
そんなときすこし下がって視野を広げ、ぼーっと眺めて全体像を捉(とら)えていると、クセが判ってくる。
人間でいえば、そのひとのキャラクター自体であり、魅力であり、また弱点とも言える。
判ってしまえば、その単純さにおどろく。
ときどき損を被(こうむ)ったからって、そんなのは想定内だ。
いちおうのセーフティーネットを用意してさえすれば、問題はない。
チャートの動きは人間の心理そのもの。
そのへんを感じられるようになると、あいてへの愛情が生まれ、こちらにも余裕が生まれ、少々のことではびくともしなくなる。
不完全なツール
演技を教えているとき、なぜかじぶんの言葉が伝わらないと感じることがあった。
いや、正確に言えばその瞬間は理解しているものの、再会したときには、そのことについてすっかり忘れているようだった。
基礎的なことを、なんども言うのは骨が折れる。
粘り 強く繰り返すことが大事だと理解しているはずだが、毎回同じことを話し、毎回耳を傾けられ、毎回すっかり忘れられている……。
現場での演出は、これほど親切ではない。
言葉で説明され、ぼくたちはそれらを咀嚼(そしゃく)し表現する。
ここで気をつけなければならないことは、
言葉はすべてを伝えられないツールである、
ということ。だから、
監督の言うとおりにします!
というだけの俳優は、そもそも呼ばれないのだ。
おそらく、伝えていることがそれだけ重要なのか、得心(とくしん)するまでにいたっていない。
そこですこし、方法を変えてみることにした。
いや、正確に言えばその瞬間は理解しているものの、再会したときには、そのことについてすっかり忘れているようだった。
基礎的なことを、なんども言うのは骨が折れる。
粘り 強く繰り返すことが大事だと理解しているはずだが、毎回同じことを話し、毎回耳を傾けられ、毎回すっかり忘れられている……。
現場での演出は、これほど親切ではない。
言葉で説明され、ぼくたちはそれらを咀嚼(そしゃく)し表現する。
ここで気をつけなければならないことは、
言葉はすべてを伝えられないツールである、
ということ。だから、
監督の言うとおりにします!
というだけの俳優は、そもそも呼ばれないのだ。
おそらく、伝えていることがそれだけ重要なのか、得心(とくしん)するまでにいたっていない。
そこですこし、方法を変えてみることにした。