相手役なしのアフレコ | 渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ

相手役なしのアフレコ

映像を確認しながら、すこしずつ合わせていく。。。

撮影してから時間がたつと、身体に染み込むまでに時間がかかる。

またやりたいことも変わってくるので、チャンスとばかりに声でシーンを変えようとしたくなる。


ただし、それは、かなりの慎重を要する。


何度も繰り返して当時のシーンをながめているうちに、かれ(当時のじぶん)のやりたかったことが解ってくる。。。

面白さに気づいてくる。


絵も小説も、いずれ完成作品に手をくわえたくなるもの。

そのとき、安直に手直ししていないか。

当時のエモーショナルへの無頓着(むとんちゃく)さが、第一稿、第二稿と進めていくうちに台本の熱を冷ましてしまうこともある。


いずれにしろ、その感覚を共有できる監督とは粘っても疲れない。

やっぱり台本がいいと、キャラクターが生き生きとしている。

これなしには正直、あまり演技力の違いはでないと思う。


そうした場合、だれが有名でだれが可愛い、という理由でキャスティングしても差し支えない。

むしろ、そうしたもので装飾しないともたない。

それらの要素を、スターの条件というひともいるね。


ただ、いい俳優ほど簡単に作品を決めない。

それはけっして横柄(おうへい)ではなく、そうした理由によるのだと思う。


いずれにしろ、海外のドラマにクレームを入れている場合ではない。


むしろそれらを反省材料に、キャスティングという作業がどれほど重要なのかを思い知らされるばかりだ。