主観の大海原(おおうなばら)
少し大きな書店に入ると、多くの演劇書が並べられている。少しでも演技術の体系を理解していれば迷うことは少ないだろうが、最初は評判かあるいは手当たり次第に立ち読むしかないだろう。
うちにはその中でも主(おも)だったモノが本棚に蓄(たくわ)えてある。そして舞台の本番が近づくと、ふと手にとって読み返す自分がいる。
基本は無数にあって、その中で自分の使えるモノが数百あるのだとしたら、ラインを引いておきながら何ヶ所か見落としているところがある。
うまく行かないことはたいてい、過去の自分が知っていることだ。
これは演技がほかの作業と違い、主観の大海原に飛び込まなくてはならないから。つい没頭してのめり込んでいくのとはまったく異なる、ぼくたちの特別で神聖な作業だ。
うちにはその中でも主(おも)だったモノが本棚に蓄(たくわ)えてある。そして舞台の本番が近づくと、ふと手にとって読み返す自分がいる。
基本は無数にあって、その中で自分の使えるモノが数百あるのだとしたら、ラインを引いておきながら何ヶ所か見落としているところがある。
うまく行かないことはたいてい、過去の自分が知っていることだ。
これは演技がほかの作業と違い、主観の大海原に飛び込まなくてはならないから。つい没頭してのめり込んでいくのとはまったく異なる、ぼくたちの特別で神聖な作業だ。