アメリカでは運動部に入って活動する学生を「Student Athletes(ステューデントアスリート)」と呼びます。
練習に多くの時間を割かざるを得ないので、一般学生に優先して授業の登録ができる優遇措置はあるのですが、授業を受けて成績を付けられて、単位を取るってのは普通の学生と全く変わりません。
真面目にやっていれば、外国人であっても単位を落とすことはないと思いますが、南カリフォルニア大学では、入学してすぐに勉学の重要性を話すセミナーのようなものがあって、とても印象に残りました。
その講義では、なぜ我々がステューデントアスリートと呼ばれてるかからスタートしましたが、
「アスリート(選手)である以前にステューデント(学生)であるから、ステューデントが前にある。アスリートステューデントじゃないんだ。」
だそうです。
半ば冗談みたいですが、妙に納得(笑)
アメリカの大学体育協会(NCAA)が、学生が運動部に所属して良い最低限の成績(GPA)を決めていたり、奨学金がもらえる人数を決めていたりするので、成績が悪ければ試合に出れないし、授業に出てなければ、金メダリストであっても、世界記録保持者であっても水泳に在籍できなくなります。
アメリカの大学は誰にでも平等に厳しいんです(日本でもそうだと思いますが)。
学問とスポーツを両立させるということは難しいようですが、ある意味当たり前のことですよね。
良い競技者であることと、良い学生/人物であることは全く別の話で、スポーツは、一般の学生が課せられていることと同じことができて初めて行うことが認められるというアメリカの大学と学生のプライドがそこにあると思います。
アスリートであっても勉学をおろそかにしないことで、結果的に競技活動の後の進路の選択肢を拡げられて、運動以外の可能性や挑戦を楽しむことができるという利点があります。
競技にあらゆる形で携わっていくという進路だったとしても、結局のところいろいろな知識が必要になるわけですから、教室で習うことは吸収しておいて損はないじゃないでしょうか。
何より、学問を通して知性を身につけて、より面白い人物に成長することができるはずです。
個人的に、スポーツに携わる人は高い集中力を持続できるので、勉学でも良い成績を残すことができると思います。
アメリカ水泳界のスーパースターだったJ・トンプソンさんや、R・カーノウさん、そして98年の世界選手権のチャンピオンだったK・グロートさんは医師として活躍中ですし、他にも弁護士など、一般的に難関と言われるテストに合格して各分野で活躍している元選手はたくさんいます。
日本の学校を卒業してから長い時間が経ちますが、ステューデントアスリートを育てる雰囲気になっているのかな??
競技を行っている時間よりも、一線を退いてからの時間の方が遥かに長いわけわけで、競技生活を終えた後に、昔は良かったとノスタルジーを感じる代わりに、競技生活と同じくらい燃えて、楽しむことができるようなセカンドキャリアを送れるよう、
練習の後の睡魔に耐えて学生としての本分を全うするステューデントアスリートなった方が良いと、ステューデントアスリート崩れだった僕は今更思います(爆)
かろうじて卒業(笑)
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