【答えは永遠に出ないのでは?思う議論】
皆さんは、食品添加物をどうお考えでしょうか?
しかし、缶詰のミックスビーンズと缶詰のトマトピューレを使っていると聞くとどう思いますか?
いかにも食品添加物が入っていそうな缶詰の商品。。。この材料を料理に使うことは健康に対して問題があるのか?ないのか?
意見は人それぞれだ違うと思います。
個人的には、他の栄養素と同じで「適量なら問題はなく、度がすぎれば毒となる」の解釈で良いと思います。どの食品添加物かによって注意の度合いは変わりますが、常用しなければOKとする立場です。
どうしてもその悪影響が気になる場合、ご自身の判断で「疑わしきは食べない」で良いと思います。
しかし、そのツッコミはまさにその通りで、そこをクリアしないと100人中100人に体に悪いとは言いきれません。わずかな添加物を嫌う側はその指摘を「その通り」と受け入れなければなりません。
ゆえに、完全な実証は実質不可能と言えます。
栄養の分野はこのように実証が実質不可能という特性が強いため、主義主張、もしくは利権や思想が入ってくる余地が大いにあります。そして、それが多くの人の混乱を生む一因になっていると思います。
皆さんは、頭の中を整理して情報の選択をできていますでしょうか?それとも、そこまで深く考えず直感やなんとなくの感覚で選択していますか?
『悪魔の証明』という言葉があります。それは、悪魔がこの世にいないことを証明するには、世界中のあらゆる場所をあらゆる時間帯、あらゆる条件で調べなければ証明できないところから、「ないこと(消極的事実)の証明は実質不可能である」ということを意味する表現です。
この考えを添加物の件にあてはめると、「添加物が絶対に体に悪いと主張するなら、人類全員を対象に、様々な条件を取り入れて実験を続け、確実にそれを証明せよ」ということになります。しかし、それは上記の理由で実質不可能です。
※上記の「悪魔の証明」の解釈は本当は「ないことの事実」を証明することは難しい、ということなのでこの使い方は本当は違います。しかし、わかりやすいと思いそのように用いました。正確に知りたい方は別途お調べください。
さらに言えば、人間には「確証バイアス」という思考の癖があります。これは、自分が正しいと考えていることを確証してくれるものに注意を向け、それ以外は見えなくなる傾向のことを言います。つまり、研究結果や情報を自分の都合の良い考えに当てはめて解釈をしてしまうということです。その場合、原因と結果の因果関係を強引に作ってしまいます。
さらに言えば。。。。。。などと話し出すと永遠に終わらないので、ここで終わります。
運動の分野もそうですが、栄養の分野でも研究や情報の解釈は『情報の受け手』に依存するところが大きいです。
自らに頑丈でしなやかな軸を持っていないと、ずっと振り回されてしまいますね。
しかし、缶詰のミックスビーンズと缶詰のトマトピューレを使っていると聞くとどう思いますか?
いかにも食品添加物が入っていそうな缶詰の商品。。。この材料を料理に使うことは健康に対して問題があるのか?ないのか?
意見は人それぞれだ違うと思います。
個人的には、他の栄養素と同じで「適量なら問題はなく、度がすぎれば毒となる」の解釈で良いと思います。どの食品添加物かによって注意の度合いは変わりますが、常用しなければOKとする立場です。
どうしてもその悪影響が気になる場合、ご自身の判断で「疑わしきは食べない」で良いと思います。
※慢性的な体調不良、疾患をお持ちの方、は担当医や専門家に相談した方が良いでしょう。また、成長期のお子様や妊婦さんは注意を払った方が良いかもしれません。
食品添加物を少しとっているけど適度な運動が習慣化している人は、徹底して食品添加物を排除して運動不足の人よりよほど健康だと思います。今は人生100年の時代。健康寿命を長くするには柔らかい思考が必要です。これは完全に個人的な感覚、意見でエビデンスなどはありません。
食品添加物と言えば、甘味料や保存料、着色料、その他色々。。。こんなにあるのか?!と思うほど多種多様にあり、スーパーの商品の大部分は添加物が入っています。
ほとんどの人が体に悪いのだろう。。。というイメージがあると思いますが、反対にその思いに囚われすぎていることに問題はらないのかな?と思います。
次に述べていくことは、食品添加物の大部分は研究してもまだ謎が多いという大前提がある中の話になるので、そこを留意してお読みください。
食品添加物を少しとっているけど適度な運動が習慣化している人は、徹底して食品添加物を排除して運動不足の人よりよほど健康だと思います。今は人生100年の時代。健康寿命を長くするには柔らかい思考が必要です。これは完全に個人的な感覚、意見でエビデンスなどはありません。
食品添加物と言えば、甘味料や保存料、着色料、その他色々。。。こんなにあるのか?!と思うほど多種多様にあり、スーパーの商品の大部分は添加物が入っています。
ほとんどの人が体に悪いのだろう。。。というイメージがあると思いますが、反対にその思いに囚われすぎていることに問題はらないのかな?と思います。
次に述べていくことは、食品添加物の大部分は研究してもまだ謎が多いという大前提がある中の話になるので、そこを留意してお読みください。
わずかな添加物を摂取することが「人体の健康を害する」と主張するには、それを証明する必要があります。
しかし、過去の研究を引っ張り出してきて、「この添加物は絶対に体に悪く、摂取すると病気になります。そして、それは100人中100人にあてはまります。」と因果関係を証明することは実質不可能です。仮に添加物が体に悪いという結果が出たとしましょう。しかし、研究には必ず反対派の指摘を許す要素があります。
分かりやすいのは、「実験対象がマウスなので人間にはあてはまらないのでは?」「その実験は日本人ではないので日本人にはあてはまらないのでは?」「実験期間中の他の食品の影響なのでは?」「量や期間を変えたら違う結果なのでは?」などで、そのツッコミは永遠に終わりません。
分かりやすいのは、「実験対象がマウスなので人間にはあてはまらないのでは?」「その実験は日本人ではないので日本人にはあてはまらないのでは?」「実験期間中の他の食品の影響なのでは?」「量や期間を変えたら違う結果なのでは?」などで、そのツッコミは永遠に終わりません。
しかし、そのツッコミはまさにその通りで、そこをクリアしないと100人中100人に体に悪いとは言いきれません。わずかな添加物を嫌う側はその指摘を「その通り」と受け入れなければなりません。
ゆえに、完全な実証は実質不可能と言えます。
栄養の分野はこのように実証が実質不可能という特性が強いため、主義主張、もしくは利権や思想が入ってくる余地が大いにあります。そして、それが多くの人の混乱を生む一因になっていると思います。
皆さんは、頭の中を整理して情報の選択をできていますでしょうか?それとも、そこまで深く考えず直感やなんとなくの感覚で選択していますか?
『悪魔の証明』という言葉があります。それは、悪魔がこの世にいないことを証明するには、世界中のあらゆる場所をあらゆる時間帯、あらゆる条件で調べなければ証明できないところから、「ないこと(消極的事実)の証明は実質不可能である」ということを意味する表現です。
この考えを添加物の件にあてはめると、「添加物が絶対に体に悪いと主張するなら、人類全員を対象に、様々な条件を取り入れて実験を続け、確実にそれを証明せよ」ということになります。しかし、それは上記の理由で実質不可能です。
※上記の「悪魔の証明」の解釈は本当は「ないことの事実」を証明することは難しい、ということなのでこの使い方は本当は違います。しかし、わかりやすいと思いそのように用いました。正確に知りたい方は別途お調べください。
さらに言えば、人間には「確証バイアス」という思考の癖があります。これは、自分が正しいと考えていることを確証してくれるものに注意を向け、それ以外は見えなくなる傾向のことを言います。つまり、研究結果や情報を自分の都合の良い考えに当てはめて解釈をしてしまうということです。その場合、原因と結果の因果関係を強引に作ってしまいます。
さらに言えば。。。。。。などと話し出すと永遠に終わらないので、ここで終わります。
運動の分野もそうですが、栄養の分野でも研究や情報の解釈は『情報の受け手』に依存するところが大きいです。
そのため、誰かが一次情報を知り、その情報発信を誰かが聞き、またそれを発信することを繰り返すうちにバイアスが強くなります。
自らに頑丈でしなやかな軸を持っていないと、ずっと振り回されてしまいますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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