「氣のせいだよ」はすごい | 意識が世界を創っている

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よく言われる

「それって氣のせいじゃない?」

という言葉

 

これは私たちが日常使う時には

「ありもしないことをあなたの想像で作り上げたのではないか」

という意味で使うことが多いです

 

つまりある出来事やある判断を否定する時に使います

 

でもちょっと考えると

この言葉すごく面白いと思いました

 

「氣」のせい・・・「氣」のしわざ

 

そう、まさに!

 

氣を読んだのね^^

 

つまりその氣配に氣付いた

 

「氣のせい」 という言葉のもう一つの意味に氣づいた時から

私はこの言葉をポジティブに使うことが多くなりました

 

実は

 

その氣を察知したのは

 

確かにその事象があったから

 

どんな物事もいくつもの面を持ちます

だからある面から見たらまったくの虚偽のようにしか見えないことも

まったく別の面から見た時

それが真実にもなりうるのです

 

だから

「氣のせいか」と思った時

 

その事象を否定するのではなく

 

自分が覚知したその氣を

大切に

 

そしてそれもまた

あなたの感覚が間違っていたのではなく

ありうるのだと認識して欲しい

 

 

そういうことを繰り返しているうちに

ますますあなたの本来持っている感覚は研ぎ澄まされ

世の中をもっと面白く眺められるようになるのです

 

この世はまさにワンダーランドです

 

あなたが今

覚知したその氣配は

必ず真実の側面を持っている

 

「氣のせい」

を大切にしていると

 

このワンダーランドで何が起こっても不思議ではない

と思い知らされることが多くなります

 

 

私はせっかく日本語使いに生まれたのだから

もっと日本語に注意深くありたい

そしてもっと使いこなしていきたい

 

 

そう考えているのも事実なのですが

 

それと同時に

 

この頃の私には

それこそ別の面と言えることも起こっていて・・・・

 

私自身は悟ったとか

いわゆる一瞥したとかそういう体験は全くありません

 

これから先もおそらく

いうところの「 A-ha ! 」体験などないだろうと思っています

 

でも最近

 

物事の真髄をつく意味そのものというか

「なるほど!」という氣づきみたいなものが

 

言葉を介さずに

あるいは一つの「語」にたくさんの情報が乗った状態で

いきなりふわっとくることが多くなり

ますます私は安心しています

 

そんないきなりやってくる意味 

それ自体について

以前は何とか文章にするまでに文字起こしできていたのですが

最近はその度合いが減ってきています

つまり文章化することが難しくなってきています

 

よく聖者とか覚者とか言われる人が

「黙して語らず」に真理を説く

なんていうことを聞きます

 

もちろん

そういう例を引き合いに出すのもおこがましくて本当に申し訳ないけれども

 

言葉にすればするほど真理から少しずつずれてしまうこともわかるから

そういうことなのかな

とも思っています

 

そして、まるでそれと反比例するように意識は広がっていき

周りとの境がないんだということにますます実感させられ

もうこの身の周りの生きとしいけるもの、だけでなくいわゆる無機物と言われるものに対しても

感謝の念で自然にこうべを垂れる思いです

 

もちろん "道を歩いていて突然の五体投地" なんてしませんよ

そこの社会性は失わずにやっていこうと日々心がげています(笑)

 

そしてこの広がりつつある意識の中で

 

出会った人には

あなたがどれだけ愛されている存在なのか

ということを

 

知っていただきたい

思い出していただきたい

 

日々そんなことを考えています