ADHA ? 次男の場合 | 意識が世界を創っている

意識が世界を創っている

心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

SNSで流れてきた次の記事

http://gigazine.net/news/20130529-adhd-is-made-by-industry/

 

次男は今の世なら完全にADHAと診断されたでしょう

 

とにかく幼い頃から長男に比べて多動だとは感じていましたが

年齢が上がるにつれてますます手に負えなくなり

小学校高学年では

家の中でさえすれ違った妹たちをいきなり殴る・・なんて日常茶飯事

何の理由もなくです(T . T)

 

ただし一因として思い当たる節はありまして

彼が小学校5年生に上がる頃、私は離婚しました

その離婚に至るまでの数年間、揉め事だらけドロドロで裁判にまで発展した離婚でした

 

お互いを罵り合い、先方は親戚一同が出てきて私へ暴力を振るわれたり

警察沙汰になったりもしました

 

かくして私はある日いきなり4人の子供と共に当時住んでいた離島を

こっそり逃げ出した・・・という経緯があります

 

もちろん4人の子供はそれぞれ傷ついたでしょう

その中でも特に甘えん坊であった次男には

大きなストレスのかかる出来事だったのかもしれません

 

とにかく一番ひどい時期は

朝は目がさめるともう暴れ出す

本人は暴れている自覚はないのかもしれませんが、家の中を移動するだけで

家具にぶつかったり壁にぶつかったり

その物音だけでも「朝っぱらから何騒いでんの!」と言ってしまうほどの騒音

 

本当に困りました

4人きょうだいの二番目、当時はとにかく他のきょうだいと次男だけにしておくことができない

(なにがしかのトラブルが発生する)

母子家庭ゆえ外出一つにも手はずを整える必要がありました

 

子供だけの留守番の時は私が必ず次男を連れて行くし

子供だけで出かける時は私と次男は留守番、もしくは私も陰ながらついていく

 

とにかく次男とほかの子たちの間に立ち毎日必死でした

まるでことわざの「虎の子渡し」そのもの

(このことわざの真意は "生計のやりくり" らしいですが我が家はガチでこの状態だった)

 

それがある日ふと

『次男と会話が成立している』ことに気づいたのです

 

それまで例えば

「ご飯食べたの?」に対し

ドタン!ガシャン!などの騒音の後に「カブトムシ!」なんていう返答はよくあることでした

(しかも前後の脈絡もなく、また捕まえてきたとかではないのにやたら嬉しそう)

 

それが、私が言った言葉に次男が普通に返答している・・・

「ご飯食べたの?」「食べたよ」

これに気付いた時はびっくりしたし嬉しかったのでとてもよく覚えています

次男、中学一年の夏でした

 

それからも成長とともにその態度は落ち着いて思慮深くなっていき

22歳の現在では音楽と本が好きな、どちらかというとおとなしい青年になっています

私が何か彼に教育や療育を施したなどということは一切ありません

 

私は戸惑い、時には悩み、怒り、泣き、笑いながら

次男の成長に合わせてその場その場を反射神経ともいうべきもので対処してきただけ

 

そして私の子供の頃を思い返してみると

周りに暴れん坊できかん気の男子は何人かいたし、私も負けず彼らと喧嘩したり

一緒に山野を駆け回って暴れたりもしました(時代劇か!?の感も否めない💧)

 

でも同窓会などで顔をあわせると皆一様にいいお父さんになっていて落ち着いています

 

ところで

私は看護師として時に小学校や中学校の宿泊学習に同行することがあります

 

事前の打ち合わせでは定期的に薬を服用しているお子さんの確認をするのですが

ADHDなどの診断を受けてその薬をのまされているお子さんの多いことに

胸の痛む思いをしています

 

なかには小学校5年生の男の子で

「理由もなく妹を叩くので、毎朝妹の起床時間の一時間前に起きて薬を服用し、お母さんと

勉強をしながら妹が起きるのを待つ」という日課の持ち主もいました

 

あまりにも次男のケースとそっくりなので親御さんのご苦労もある程度想像がつきます

もちろん、どのご両親も余分な薬は飲ませたくないと考えていらっしゃるでしょうし

そういう日課に至るまでには他人からはうかがい知れない苦悩もあったでしょう

 

日本の住宅事情や社会規範などが本来の子供らしさを許さないという現状もあるでしょう

 

ただ、冒頭に挙げたこと(貼り付けたURL)も事実としてあります

 

私は決して

服用はダメ、私のように育てて!

などというつもりはありません

 

当時の我が家の状況が今の時代だったら

私も次男を引き連れて専門家のドアを叩いていたでしょうから

 

ただこんな経験もあったということ、こんな事実もあるということ

それをおしらせしたかったのです