第二十五回 「ハンサムな彼」
【今日の一言】
ほんと最近、蚊がうっとおしいですね。
もう夏ですか。
さて。
今日は起床段階で12時も半分が過ぎており、なんだか損したなぁと思いつつ身を起こしました。
知らない人に言っておきますが、水曜日は大学の講義を何もとっておらず、夕方にある部活動までは基本フリータイムなのです。決してサボりとか、そういうのではございません。
前回の日記で掲載いたしましたが、今日はついにその“根性T”を着て大学へ行ってまいりました。
“根性”という二文字を背負っている以上、容易に電車の席へ座ろうものなら「あいつは根性と書いてる割に根性無いなぁ」と思われかねません。また、“根性”と書いてるその背中が猫背であったら、威厳も何もあったもんじゃございません。“根性T”を着るにはそれなりの覚悟が必要なのです。それも亜紀さんのサインまで書いてあるのだからなおさらです。そういうわけで、今日はどこか身が引き締まった思いで一日を過ごしておりました。
大分前の話になりますが、「暇人」と胸部に大きく書かれたTシャツを着た青年とすれ違いました。「海人(うみんちゅ)」のように「暇人(ひまんちゅ)」とでも読むのでしょうか。その「暇人Tシャツ」はヨレヨレになっており、それを着た青年は体をクネクネと動かしながら、ただうつむき加減で歩いておりました。これはとても申し訳ないのですが、その見た目と“暇人”という文字が強烈にマッチしていて、まさに“暇人”、himanchu of the world だったのです。
僕は服装等、外見的なものもアイデンティティーなのだと思っている人間でございます。
「服にはその人の性格・意図することが現れている」
常々そう思っております。
だからこそ、“根性”と書かれたTシャツを着ているということは、その人自体に根性があってしかるべきであり、“暇人”と書かれているのならきっと暇なのです。
先日エスカレーターで、「みんなクソ野郎だ!」と英語で書かれているTシャツを着ている人の後ろに立ちました。きっと彼は社会や他者に対して、何かしらの不満を持っているのでしょう。
なぜならアイデンティティーは外見に現れるからです。
なおかつ僕はこうも思うんです。
「メッセージが書かれている以上、それを守らなければいけない」
僕はTシャツを比較的沢山持っているほうなのですが、中に「運命は自分で切り開け」というニュアンスのTシャツがございます。その言葉に共感して購入したのですが、最近そのTシャツを大学に着て行き、講義中に居眠りをしていたことがありました。講義中に居眠りをしている人間が「運命は自分で切り開け」なんて言っても、これっぽっちの信憑性もないでしょう。いくらメッセージがアイデンティティーだとしても、伝わらなければ認められません。だからこそ、「運命は自分で切り開け」と書かれているなら、真剣に講義を受けなければならないのです。
では講義中に居眠りをしたいと思った場合はどうすれば良いのか。こんなTシャツを着てみましょう。「寝る子は育つ」。背面にこう書かれたTシャツを着ていれば良いのです。そうすれば人は自ずと「あぁ、この人は寝てても悪くないよな」と思ってしまいます。それが人の心理なのです。きっと講師もそっとしておいてくれることでしょう。あわよくば毛布なんかをかけてくれるかもしれないし、教室の電気を消してくれるかもしれません。それが人の心理だからです。
こういうこともあります。
先日亜紀さんに言われたのですが、「ハンサムと書かれた帽子をかぶっていた人がいた」と。ということは、その人はハンサムでなければいけないのか。その答えはノーです。本当にハンサムな人が“ハンサム”と書かれた帽子をかぶっているなら、それはイヤミでしかありません。むしろ「本当にハンサム」な人が“ハンサム”と書かれた帽子をかぶるでしょうか。ただこれを言ってしまうと失礼になるので割愛することにします。これはその人の奥底に隠された“おもしろさ”を見破らないといけないのです。きっと人にウケるという思いでそれをかぶっているに違いありません。単純に、「“ハンサム”と書かれているから、この人は自分のことをハンサムだと思っているんだ」という捉え方をしていてはまだまだ人を見る目がない素人です。人を笑わせてあげようとするその“思い”がハンサムなのです。
こうして長々と書いてきたものの、本当にその人は自分のことを“ハンサム”だと思っており、よってその帽子をかぶっている、という真実がもしかすると存在するかもしれません。それはそれでもちろん“アリ”な話なのですが、先程も述べたように、本当にハンサムな人は“ハンサム”と書かれた帽子をかぶるでしょうか。そう思うとその“ハンサム帽子の彼”をどうしても見たくなって仕方がありません。もしかしたら世界一の美男子なのではないか、キムタクや反町隆史なんて目じゃない程輝いているのではないか。その可能性だってあるわけです。考えるとキリがないので、今回はこれくらいで“ハンサム論”は終わりにしたいと思います。
というわけで、僕が服にこだわる理由はこんなことがあるからです。
だからこそ、服の趣味が合う人とは上手くやっていけそうな感じがするのです。
でも、そういうもんでしょ。
古雑巾みたいな格好をした集団の中に一人だけ、「六本木のホストクラブで働いているような格好をした人間」がいるでしょうか。
ゴレンジャーの中にオーバーオールマンがいたら浮くでしょ。
類は友を呼ぶのです。
by:R.Y
