昨日朝、通勤途中に信号待ちしてたら、後ろの車が急発進して、追突されました。

愛車プリセーアのおケツはちょいグチャ、首はちょいイテテです。


ヨメからブログ禁止令が出たので、痛みが引くまで記事アップを休みます。(泣)


ご訪問いただいた方、スミマセンぜよ!


先日の自衛隊擁護の記事中の、墜落事故の元ソースを友人が教えてくれましたので、紹介します。



狭山ケ丘高等学校・学校通信「藤棚」第九〇号(平成十一年十二月一日発行)より

人間を矮小化してはならぬ

狭山ケ丘高等学校校長 小川義男

 先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の訓練用ジェット機が墜落しました。
 たまたま私は、寺田先生と共に、あの近くを走っていましたので、立ち寄るこ
とにしました。すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんで
したが、それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。

 見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたっ
て切断されています。
 高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、切れるときはぷつんと切れそうな
ものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼさに切れてい
ます。
 何ヶ所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔からぶら下がってい
る様は、まさに鬼気迫るものがありました。

 聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。
 二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。二人と
も脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に
激突し命を失った模様です。

 以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選
ぶと言うのを聞いて、私がとめたことがあります。
 「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうでした。「先生、戦闘機は
旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いており、座席ごと空中に打
ち出されるのですから」と。

 その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはな
らなかったのでしょうか。そ
 れは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。
 おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に
自らの命を救うことができたでしょう。
 47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえもなく尊い父親であった
でしょう。
 それなのに、何故彼らはあえて死をえらんだのでしょうか。

 実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集し
ている場所なのです。
 柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、中学
校、西武文理高等学校もすぐそばです。
 百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、その場合残
された機体が民家や学校に激突する危険がありました。
 彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河
川敷に接近しました。
 そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に
賭けて脱出装置を作動させたのです。 
 死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。それとも民家
や学校を巻き添えにせずに済んだと言う安堵感でしょうか。

 他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲
的精神のなんと崇高なことでしょう。
 皆さんはどうですか。このような英雄的死を選ぶことができますか。
 私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。私も必ずそうするでし
ょう。
 実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです。

 人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化(ワイショウ
カ)、つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶(オトシメ)めようとする文化
が今日専ら(モッパラ)です。
 しかし、そうではありません。
 人間は本来、気高く偉大なものなのです。火災の際の消防士の動きを見てご覧
なさい。逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の中
に飛び込んでいくではありませんか。
 母は我が子の為に、父は家族の為に命を投げ出して戦います。これが人間の本
当の姿なのです。
 その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々
は英雄と呼ぶのです。

 あのジェット機は、西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいった
と、佐藤校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。
 しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句(イチゴンハ
ンク)のほめ言葉をも発しておりません。
 彼らは、ただもう自衛隊が、「また、事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりな
のです。
 防衛庁長官の言動も我慢がなりません。彼は、事故を陳謝することのみに終始
していました。
 その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。

 防衛庁の責任者が陳謝することは、それはもう当然です。国民に対してばかり
か、大切な隊員の命をも失ったのですから。
 しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言、「以上の通り大変申し訳ないが、
隊員が、国民の生命、財産を守るため、自らの命を犠牲にしたことは分かってや
って頂きたい。自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り彼ら
は可愛い部下なので、このことを付け加えさせてもらいたい。」くらいのことが
言えなかったのでしょうか。
 隊員は命を捨てて国民を守っているのに、自らの政治生命ばかり大切にする最
近の政治家の精神的貧しさがここには集中的に表れています。
 まことに残念なことであると思います。このような政治家、マスメディアが、
人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴイストのひしめく国家を作り
出しているのです。

 人は、他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。他人の
ために生きることは、各人にとり、自己実現にほかならないのです。
 国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。そのよう
な人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。
 受験勉強で、精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためではな
く、公(オオヤケ)のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧
いてくるのではないでしょうか。
 受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!