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●石川雑記帳●

医学博士号を取得。製薬企業に研究職として勤務。日々の雑感を書き綴ります。

久しぶりにブログを書きます。
(書かなかったのは、今までのブログの内容が薄くて、ブログを書くより読書などで、もっと勉強した方が良いと思ったからです。)


先日、両親と弟と旅行をしてきました。
僕は、毎年、誕生日に両親に何かしらプレゼントしているのですが、今年は特に送りたいものが思いつかず、親孝行も兼ねて旅行を設定しました。
それが、今回の旅行でした。


今回の旅行は、2泊3日と短い旅行でしたが、何かと考える事が多い旅行でした。
僕としては、両親に自由に楽しんで欲しいという気持ちでした。
だから、2泊3日の2日目以外は自由行動として設定していました。
(1日目の夕飯と2日目は、一緒で、僕が基本的には支出するというスタンスで臨みました。)


しかし、非常に興味深い事に、両親はなかなか物事を決める事が出来ないのです。
念のために言っておきますが、僕は自分の両親をブログを使って批判したい訳ではありません。
むしろ、両親を客観的にみることで、自分がどういう経緯、ルーツで現在のよう人物になったのかを垣間みた気がしたのです。


僕の家族は、大まかに言うと以下の通りです。
父は非常に優しい性格なのですが、優柔不断なところがあり、物事を婉曲的に提案してきます。
その一方で、気の強い母が、その提案に対して文句を言います。
ただし、必ずしも自分の意見に自信がある訳ではなく、“逃げ”を打つことも少なくありません。
その結果、何も決まらないという事態が起こります。
そして、イライラしてきた僕が、(父の意図を汲む事もありますが)半ば強制的に決定をします。
弟は、傍観者的な立ち位置をとる事も少なくありません。
なるほど、この中で一番上手くやっているのは弟だな、と言う気がします(笑


さて、普段の僕自身の性格や行動を振り返ってみる事にします。
僕は、一見とても穏やかで優しく見えるようです。
ですが、自分の中では、とても短気な一面があり、物事を批判的にみる癖がある事も知っています。
そして、優柔不断な一面があって、重要な部分で一歩踏み出せないときがある事も知っています。
このように書き出してみると、両親の性格をよく受け継いでいるなぁという感じがします。
(短気、批判的、優柔不断は、かなり自分でも意識していて、直そうという努力をしています。)


今回の旅行で、このような事を客観的に捉えられたのは、きっと両親と離れて暮らし始めてから、10年が経つ事が1つの要因だと思います。
また、社会人になって、経済的な余裕もでてきて、両親から与えられる側でなく、与える側にまわろうと試みた事も、関係しているように思います。
今回は、イラッとする事もあった旅行でしたが、自分の性格のルーツを探る旅行となり、面白い機会でした。


いちおう、両親・弟の名誉のために書いておきますが、皆、良い部分もたくさんありますよ(笑



社会人になって、それなりのビジネス本なんかを読んでいると、「働くこと」ひいては「生きること」とはなんだろうと考えさせられます。
ビジネス本では、よくマズローの五段階欲求が引用されます。
僕らは、誰かに認められたいし、自分の存在が重要であることを実感したいと思っている。


10年から15年ほど前、オウム真理教をはじめとして、宗教法人の事件やトラブルがしばしば世間をにぎわせた。
全ての宗教法人に問題があるという訳ではないが、話題になるような宗教法人は「洗脳」という言葉が飛び交った。


カリスマ〈上〉 (幻冬舎文庫)/新堂 冬樹

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新堂冬樹氏の「カリスマ」という小説は、宗教法人と強烈な「自己承認欲求」を描いた作品である。
ある人物に洗脳されてしまった佐代子という女性は、もともと才色兼備で子煩悩な女性だった。
しかし、佐代子は洗脳されたことにより夫を道連れに自殺を図る。
それを目の当たりにした主人公の少年は、暗く心を閉ざしてしまう。
その一方で、愛する母(佐代子)の面影を常に追い求め、もう一度母に愛されたいと強く願う。
時を経て、少年は大人になり、自分自身が宗教法人のカリスマとなる。
彼はカリスマとなってからも、常に母の面影を追い求め、いつしか母の姿は彼のカリスマとなる。
そして、1人の女性を中心に大きく話が展開していく。


もはや男女間の恋愛と親子愛が、混同しすぎていて、愛憎劇というべきなのかどうかもよくわからない作品である。
登場時人物も、各々の特徴がデフォルメされすぎていて、心に寄り添うような感情移入ができるわけでもない。
長過ぎる講釈は、むしろうんざりするくらいである。


ただ、人間は些細な心のほころびから、考え方が一変することもあるだろうし、自らを滅ぼすこともある。
デフォルメされているとはいえ、ここには人の心の弱さがしっかりと綴られている。


ところで、宗教関連の本を読むといつも思うんだけど、宗教と恋愛はもの凄くにてるよね。
宗教は、心のバランスが崩れたときに傾倒しやすいというじゃない。
恋愛も、心が弱ってるときが、恋に落ちやすい。
恋愛の傷は恋愛で癒せ、なんてそのままだよね。
恋愛も自己承認欲求を満たす行為の1つだと思うし、長時間を共に過ごすのも洗脳と少し似てるよね。
だた、恋愛の場合は、些細なことでその洗脳が解けてしまいやすいけれど。。。。。




もう東京生活も10年になろうとしているのだけれど、僕はいつまで経っても地方出身だ。
よっぽどのことがなければ、毎年、盆と正月は実家がある田舎に帰る。
当然、両親や地元の友達がいるから帰るのだが、例え誰もいなくなっても、それなりの愛着があることに変わりはない。


もう1ヶ月も前になるのだけど、北京蝶々という劇団の「都道府県パズル」を観劇した。
簡単に内容を記しておくと、表向きは道州制に関する話である。
道州制を推進するために集められた地方の代表者が、道州制推進フェスを開催し、成功させるための方法を話し合うのである。
興味深いのは、出演者の本当の出身地が役柄の出身地とマッチしていることである。
また、演劇という形式はとっているものの、雰囲気はさながらNHKの「真剣○代しゃべり場」のようである。
そのようにして、道州制のメリット/デメリット、そして地方出身者の里心や郷愁をくすぐりつつ、最後はフクシマの問題に落とし込んでいく。


「フクシマ」の問題。
原発の問題。
「フクシマ」という地名についての問題である。
福島県出身の女性役の方(実際に福島出身の方)は、道州制に強く賛成する。
それは、なぜか。
道州制が実現すれば、「フクシマ」という地名が消えるからである。


震災直後に話題になっていたが、福島出身の子供が他の地域に避難し、避難先の学校で「放射能がうつる」などといじめられたという馬鹿げた話があった。
また、生物学や遺伝学、放射線についてもほとんど知らないバカどもが、福島出身の人とは結婚しない方がいいなどという、糞みたいな情報を流した。
その意図は、放射線で傷つけられたDNA が遺伝するという理屈らしいが、そんなものは遺伝しない。


しかし、正しい知識を持っている知識人や科学者がいくら説明しようとも、一部の人にはまるで声が届かない。
それは、「人間はイメージで動く生き物だから」だ。
(微妙に言い回しが違うかもしれないけど)この台詞は、劇中で福島出身の役者が言い放ったものだ。
そして、それは残念ながら非常に正しい。
だから、僕は(あくまで劇中の展開として)道州制を導入するのはやぶさかではないと思う。


しかし、僕は問いたい。
いつまでも「人間はイメージで動く生き物」でいいのだろうか。
過去に広島、長崎で原爆が落とされ、非常に多くの方が犠牲になった。
犠牲にはなったが、その方々が放射能/放射線に対する貴重な科学的データを提供してくれているではないか。
そのデータと真摯に向き合うべきではないか。


劇中で、原発問題を含め、道州制を導入するにあたり様々な摩擦が生まれる。
しかし、大阪出身の役の方が、摩擦を解決するのに必要なのは「愛」だという。
僕は、こういう甘っちょろい考え方が、意外と好きだ。
だからこそ、何が愛なのか?と考えたい。
福島を含め大震災で被災した方々のために、募金したり物資を送ることは愛だと思う。
僕は原発容認派だけど、反原発運動をする人たちの行動も愛なのかもしれない。
でも、行動するだけが愛じゃないと思う。
過去のデータに真摯に向き合って、物事を正しく理解することも愛ではなかろうかと僕は思う。
イメージではなく、物事を正しく理解することで救われる誰かもいるかもしれない。
それは「愛」だと僕は思う。


今回の「都道府県パズル」も非常に面白い作品であったけど、少しだけ気になる点があった。
おそらく意図してではないと思うが、放射性物質に曝された影響が遺伝するといったミスリードを起こしそうになる箇所があった。
僕が、このブログで書いても仕方ないことだが、念のため書いておきたい。
過去の広島/長崎のデータから、人間において放射性物質による遺伝的影響は発生しないというのが一般的なコンセンサスです。