この一週間、どれだけのおはぎを食べただろうか?


春彼岸はぼたもち、秋がおはぎのようだが、

私の周りで売られているのは、

おはぎばかりだったな。


私はこれまで、好んで食べてこなかった。

よくある理由だが、"ごはん"と"あんこ"って…


でも息子へのお供えにと、母や義兄弟が持ってきてくれた。


自分でも有名店まで足を運んだ。


一度、20日の春分の日に行ったが、

店の外に100人くらい並んでいるのを見て

あっさり断念した。

(昨日、再チャレンジしてゲット)


息子にあげる = 私がお下がりをいただく。


だから、毎日1つ、2つは食べただろう。


やっぱり"特には食べなくてもいいかな"って思うくらいの感想だが、それでも以前よりは美味しく感じられた。

(歳をとって、味の好みが変わったのか?)


母曰く、息子も好きだったとのこと。

そうだっけ?と思ったが、喜んでるはずだと思っている母の姿を見て、敢えて否定はしなかった。



私が仏壇にご飯をあげる時の挨拶は、

こんな感じで始まる。


「○月○日○曜日、今日も朝を迎えられたことに感謝致します。ありがとうございます。」


でも実は本心と少し違う。


朝起きても絶望しかないから。


息子のいないこの世界で、

今日も生きていかなきゃいけない。


私は朝を迎えたいのか?


いや、違うな…


でもその気持ちを、

仏壇側にあまり悟られないよう、

定型文として声に出す。


寝る前のお参りも同じ。


「今日も1日、ありがとうございました。」


何に対してのありがとうなんだろう?と

思いながら毎晩同じことを伝える。



今回、息子を亡くしてから、初彼岸となった。


(息子のお骨はまだ自宅にある。納骨は今月末)



我が家では、四ヶ所のお墓にお参りをする。


春彼岸、秋彼岸、お盆。欠かさず。


県北から県南まであるが、すべて県内だから

1日、2日で行けるし、さほど無理はない。


「いつも見守っていただきありがとうございます。これからも宜しくお願いします」と

ご先祖様にご挨拶する。


息子が東京に行ってからは、夫婦だけのお参りが増えたが、帰省してる時は息子も必ず行く。


居ない時は、息子が不在のことをご先祖様に断って、二人分としてお参りしていた。

(二人分っていう考えもおかしいとは思うが…)



今回はとても複雑だった。


だって…

「見守ってくれてたの?」

「息子は亡くなっちゃったんだよ!」


なのに、それでも、

(見守っていただき)「ありがとうございます?」


素直に言えなかった。


でも、建前上?渋々?いつも通りご挨拶した。


そして、こう付け加えた。


「息子がそちらに行ってしまいました」

「どうか息子のこと、宜しくお願いします」と


こんな気持ちでお参りしてること、ご先祖様に、伝わってしまったかな?


ご先祖様からしたら、八つ当たりに過ぎないのだろうけど…


今月は、気持ちがザワザワする日が多い。

このお彼岸中は特に。


お彼岸は、この世と通じやすくなる?


何かあるかと期待してたのに、

昨日の彼岸明けは泣きながら寝てしまった。


その思いは今度書こう…