葬儀社の方から受け取った、息子の法要日程表をしみじみ見つめる。


 ○○家 法要日
  初七日忌 ○月○日
  二七日忌 ○月○日 ••• 

その日が来る度にザワザワしながらお膳用意したりして。

「もう四十九日なんだね。あとは百箇日だけなんだ...。あっという間に、たんたんと過ぎてしまった気がする。よかったのかな...」

「こういうものでもないと、前に進まないんじゃない?誘導されることにも意味があるのかもよ」と夫。

この突然の事態のあと、息子の友人、バイト先の方、その他多方面の関係者と話をし、息子のことを聞いて回った。ほぼ全員"初めまして"の方。

"○○さんは話してて楽しい人でした。夜中から朝まで話し続けるくらい"
"(飲み会とかでは)○○はずっとしゃべっていつも場を盛り上げてくれてました"
"慣れない自分に、○○君は周りとの仲を取り持ってくれてお世話になってました"
"(バイト先で扱う商品は)○○君に相談して決めることもあって、ヒット率も高かったんですよ"

あらためて知った息子の普段と交遊関係。
大学では50人以上の委員のリーダーをつとめ、学外では500人以上を集めてオンラインイベントを度々開催。

好きになるとすぐハマリとことん打ち込む。
(飽きるのも早かったけど)

高校まで野球一筋できた反動か、学生委員会やバイトやゲームや、推し活やらオタ活やらに時間を費やし、ワンルームの部屋には好きなものが溢れてた。

マンションは常に汚部屋状態。よくテレビで見るゴミ屋敷並み。
ほぼベッドの上で完結。
料理は好きだけど、作って食べてそのまま。
友だちと京都に行ったり札幌行ったり、長野、新潟、群馬?にスノボ。飲み会もよく行ってた。
学校の課題はギリギリ滑り込み。

とにかく大学生活を存分に楽しんでた。
その合間に、私たち親子は月いち以上のペースで会ってた。

社会人になったらやっていけるのだろうかと、私たちはかなり心配していた。

そんな生活の中でも、息子は頼りにされていた、感謝されていた。(勿論、私たちの手前、皆さん気を遣ってくれてたとは思うが)
自分よりずっと上の方との交遊も多く、それなりのコトバでそれなりの振る舞いも出来ていたようだ。

「東京に出て、随分と成長してたんだね」
夫のひと言で気付かされ、嬉しく思った。
だからこそ、これからの成長も見ていたかった。

やりたい仕事もあったのにね...

そっちで、そういうの出来るの?
今度は何活してるの?
何でもいい。
ただ笑ってて欲しい...