まだあまりわかっていないが書きながら考えていきたい。
魂をもつ者がそこに存在しているとき、
その人は世界と関係を持っている。
魂およびそれを表す曼荼羅は世界との関係そのものだ。
この世界と縁があるのだ。そこには気のエネルギーの流れがある。
存在しているだけで価値があると考えることがある。
仕事をしていなかったり、障害を持っていて生産的なことに携われない人もいる。
引きこもっている場合もそうだが、自分の存在意義に疑問を感じることがある。
肉体だけを見ていると自分の存在の価値や意義はわかりにくいように思う。
みんな互いに魂(の活動)が観えていたら、もっとそれがわかりやすくなる気がする。
確かに肉体があるだけでも科学の知見でその壮大な小宇宙のしくみを思い浮かべれば
価値があるといえるだろう。
だが、どうもそれを持て余しているという感じがしてしまう。
統合失調症の場合、どうも単に心の不調和という以上に
世界との関係の不全という感じもする。
いや、多くの場合、関係の不全ゆえに(気のエネルギーの流れが悪くなって)
調和が損なわれているのではないか。
あまりに人間関係が不足すると妙に不安定になってくるのもそのせいではないか。
前回書いた、開拓がうまくいかなくなるという意味もあるだろう。
じつは、近くに他者がいるだけでもエネルギーの流れは起きている。
関係不全の状態を改善(して精神の調和を取り戻す)するのにマンダラが役に立つのは
精神医学者(分析家)ユングの発見でもあるが、
古代から、マンダラは世界との関係を模すために描かれてきたし、
マンダラの定義でもあるだろう。
僕のマンダラの中の構成要素がそれぞれ何を意味するかは
いつか細かく公開したいと思っているが、
主に、
自分と世界との縁や運命、世界に関する知識、
出会う人のタイプの分類(時期によって変化・移動する)、
思考・感情・感覚・直観・外向性・内向性・自然性・人為性
・要領の良さ・野心・頑張るモード(部分をみること)・休むモード(全体をみること)
など、僕の魂の機能である。
これらの機能がバランスよくフェーズに合わせてうまく開拓されていけばそれで大方良い。
開拓されてくるというのはわかってくるということでもある。
何かがわかってくるということ自体統合失調症が治ってくることだし
調和と安定が戻ってくることでもある。
まとめてみると、存在しているとは世界と関係があることであり、関係やバランスの改善が不調の治療になり、
そのためにマンダラが使えるということだ。
