情報物理学かつ生命物理学という性質を持つと思われるので

共通する概念として位相を提案したい。

 

モナドといった方がいいかもしれないが

モナドの本質を普通の言葉でいうと位相になると思う。

さすがに哲学用語しかも特定の哲学者の用語をとって

モナド物理学とするのはちょっとどうかと思うので・・・。

 

因果性と共時性の両方を加味したい物理学である。

共時性のほうが本質的になると思われるが。

宗教と従来の科学の間を射程とするし、

心のエネルギーと思われる「気」も対象としたいし、

それと従来の物理学の素粒子とのインタラクションも問題にしたい。

モナドとアトムの統合ともいえるだろう。

 

観測・認識の問題とか主客の問題も解決したい。

 

意味の問題とか偶然と必然の問題も扱いたい。

ユング心理学の元型と共時性の関係も視野に入れたい。

元型もモナドというか位相的な性質がある。

 

チャクラや魂などの精神的構造物も対象にしたい。

まだあまりわかっていないが書きながら考えていきたい。

 

魂をもつ者がそこに存在しているとき、

その人は世界と関係を持っている。

魂およびそれを表す曼荼羅は世界との関係そのものだ。

この世界と縁があるのだ。そこには気のエネルギーの流れがある。

 

存在しているだけで価値があると考えることがある。

仕事をしていなかったり、障害を持っていて生産的なことに携われない人もいる。

引きこもっている場合もそうだが、自分の存在意義に疑問を感じることがある。

 

肉体だけを見ていると自分の存在の価値や意義はわかりにくいように思う。

みんな互いに魂(の活動)が観えていたら、もっとそれがわかりやすくなる気がする。

確かに肉体があるだけでも科学の知見でその壮大な小宇宙のしくみを思い浮かべれば

価値があるといえるだろう。

だが、どうもそれを持て余しているという感じがしてしまう。

 

統合失調症の場合、どうも単に心の不調和という以上に

世界との関係の不全という感じもする。

いや、多くの場合、関係の不全ゆえに(気のエネルギーの流れが悪くなって)

調和が損なわれているのではないか。

あまりに人間関係が不足すると妙に不安定になってくるのもそのせいではないか。

前回書いた、開拓がうまくいかなくなるという意味もあるだろう。

じつは、近くに他者がいるだけでもエネルギーの流れは起きている。

 

関係不全の状態を改善(して精神の調和を取り戻す)するのにマンダラが役に立つのは

精神医学者(分析家)ユングの発見でもあるが、

古代から、マンダラは世界との関係を模すために描かれてきたし、

マンダラの定義でもあるだろう。

僕のマンダラの中の構成要素がそれぞれ何を意味するかは

いつか細かく公開したいと思っているが、

主に、

自分と世界との縁や運命、世界に関する知識、

出会う人のタイプの分類(時期によって変化・移動する)、

思考・感情・感覚・直観・外向性・内向性・自然性・人為性

・要領の良さ・野心・頑張るモード(部分をみること)・休むモード(全体をみること)

など、僕の魂の機能である。

これらの機能がバランスよくフェーズに合わせてうまく開拓されていけばそれで大方良い。

開拓されてくるというのはわかってくるということでもある。

何かがわかってくるということ自体統合失調症が治ってくることだし

調和と安定が戻ってくることでもある。

 

まとめてみると、存在しているとは世界と関係があることであり、関係やバランスの改善が不調の治療になり、

そのためにマンダラが使えるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人との出会いもそんな気がする。(フェーズみたいなものが存在するのではないか)

出会い(縁)と開拓という観点も面白いかもしれない。

 

特定の文との出会いがそれぞれ自分の心や脳を開拓していく。

人との出会いもそうではないか。(文も人が書いたものなのだが)

特定の時期にしょっちゅう会って話していた相手がいても

ある時に別れが来てその後あまり話さなくなる。

学校時代に卒業などが区切りになった頃に限ったことではない気がする。

縁の深い相手だとなかなかそうはならないけれど、家族でもそういうことはあるだろう。

 

開拓とは、何かがわかってくることでもある。見えてくるといっていい場合もあるだろう。

人と話したり文を読んだりすることで見えてくるものがあったり、たどり着ける境地がある。

刺激になるという面もある。活性といっても同じかもしれない。

そういうことが生活の支えになってたりもする。

ここまでのことは音楽についてもいえることだろう。

 

縁や運命で自分が開拓されていって人生は自分を知る旅になる。

自分の諸相phaseが現われる過程ともいえるだろう。

 

僕の文章が他の人の心の開拓(耕すという表現も使いたい)になったり

カタルシス(魂の浄化)になってくれればいいな。

 

互いにスムーズに精神の明度を上げていけるような世の中なら幸福なのだろう。

物質や経済中心の世の中から心のことも積極的に解明して幸福に役立てる世の中になってほしい。

どうも、いままでいろんなテーマに挑んできたつもりだけど、

長く続けて追いかけていたものが、ある時期から急に遠ざかることが多い。

そのテーマのインプットもあまりできなくなる。

追いかけようにも追いかけようがなくなる。

ある程度開拓したら次へ進むということを繰り返してきたように思う。

なんだか何もものにならないなという無力感もある。

フェーズphaseということばは位相・相という意味もある。

時期という意味だけでなく特定の(相の)表(現)れ方という意味でもある。

特定の時期に自分の特定の面が強く出るという気もする。

つまり、アウトプットもインプットもフェーズによって移り変わっていくようだ。

自分や自分の生活がどのように成立しているか考えると

いろいろと感謝すべきことが思い浮かぶ。

40歳を越えてからそういう心持ちになることが増えたなあと思う。

ある種そういう心を持とうとすることがこの頃の課題とかテーマなのかもしれない。

それとともにというかそもそもそれまでの人生を振り返ることが多くなった気がする。

反省や後悔がいろいろと心に浮かんでくる。

主治医も人生の再スタートという言葉を使っていたが僕もそう思う。

いろいろ整理して再出発をしたい気持ちだ。