ここしばらく
「ぎょっ」とする毎日です。

というのが、、自分の観念に
出会い続けている感じというか。

正直、かなりしんどいです 汗




たとえば、、、

わたしは、二十代半ばから三十代初めまで

八年、造園の世界にいました。
土木に近い、世界でした。

そしたら、まさか、なんですが
自分の中に、そこで身についた
考え方があるのです。

工事を放り出すのは、
あってはならないことなのです。
なので、「やる」と言ったことを
やめるのはとても苦痛です。

もし無理なら、本格的に
動き出す前にやめるとか、、
そちらのほうがだいぶマシです。
とりかかって投げ出すのは、、と思っていました。


(まさに、〈四食〉
その環境にいたから、
その考えを吸収してきたのですね。)



とはいっても、今の私が
やろうとした企画の中には
現実には人手の問題などもあり、
「できない」ということもあって、、。

そうなったときに、
ハッとしました。

「投げ出すのは恥ずかしいことだ」と
考えている自分の観念に気づいて。

ほんとうは、じぶんの観念を壊すより
じぶんの観念に沿って考えたほうが
ずっと楽なこともあります。

なぜかというと、自分ではなく
人を責めることができるからです ^^

自分の観念のなかで、
ぬくぬくとしていようと思えば
〈〇〇は当然〇〇でしょ〉
〈〇〇さんは、〇〇だから!〉
〈〇〇さんは、間違ってる。〉
と決めつけてしまえば、終わり。
感情的には、いったん、
安全でいられると思うのです。



(仏に逢うては、、というくだりは、
臨済宗での考え方で、ティクナットハン師の
『和解』の、リトリート参加者の
言葉を読んだのです。

〈仏に逢うては仏を殺せ
父母に逢うては父母を殺せ〉

この言葉自体
ぎょっとしますが、、、

自分が、いつのまにか、
「正しいと思っていること」
が〈仏〉であり、〈親〉なのでしょう。  )



そこから、
あれっ?!と
自分の考え方について
ポロポロと〈仏〉〈親〉化しているものがあるなぁと
気づくことが多くなっています。


なかなかに、しんどい 笑


でも、たぶん、、、


自由に、ほんの少し近づいて、、



そして また、、、

〈仏〉に出逢いつづけるのでしょう 。 ^^




りょうこ