さて。大きめのことを決めると。
それにすっかり満足して、
日々の実践がおろそかになってるなぁ〜〜。
と、実感していました。
あるとき、仕事関連で、ポンと怒りが。
私「以前も、こうだった。信用できない。
見積もりは、いったん、
持って帰ってください。」
というような言い方をしてしまいました。
先方も、「どこがダメなんですか!全部ですか?!」と
少し血相を変えておられました。
夫が、改善策を提案してくれたので
先方も表情を和らげてくれましたが。
私がショックだったのが。
(ああ、、わたし、止観できてなかった、、
)
せっせと遠隔ワークを
してくださっていました。
そのなかのリーディングで、
とても心に残ったのが
(私が)これからやることは?という問いに
「いま歩いているつもりだった場所を、
本当に歩くこと。」
という言葉。
先日、『大地に触れる瞑想』
ティクナットハン師の本を読んで、
実際に、山羊たちが草を食んでいるところで
やってみました。
この本は、ブッダのと対話形式で、
各項目の誘導瞑想になっています。
わたしは、No.3の、
「うわべだけの装いを捨てる」という
項を読み、
ティンシャを鳴らし、大地に触れました。
この項は、今のわたしには痛みのある内容でした。
「我が師ブッダよ。わたしは中身のない、
見た目だけをつくろうような
実践ばかりしてきたことを恥じています。」
という文から始まります。
また、この本は注釈も素晴らしく。
「仏教では、恥に関して二種類の
心の形成物があるとしている。
ひとつは、過去の行動を悔やみ、
それからのち行動を改めようと決意する
健全なもの。
もうひとつは、罪の観念として
固定化し心の障害となるような
恥のことである。」
日常的に私たちが感じる
罪悪感や、恥とは少し違うのかもしれません。
「そのことに、気づいている」
それは、歩き出したからこそ、
実践しようとしているから
気づくことなのかもしれません。
恥じる自分を
育む母
大地に預け
ただ、呼吸する
歩き出したからこそ、痛みを感じ。
愚かな自分にも
ただ、気づく。
正直である。
てくてく、と、ただただ、歩いてゆこうと
思います。
りょうこ







