【解説者の流儀】
「解いて説く」サッカー解説者戸田和幸の言葉は、試合中異なる視点でプレーを観ることの重要性を提供してくれる。むしろプレーを考えることに近い。
観ている者が考える為、必要な情報をまさしく解いて伝えてくれる。
彼は観ている層(届きうるターゲット)を想定しつつ、言葉を選ぶ。
試合中、リアルタイムでプレーが連続されるフットボール(あえてサッカーではなくフットボールと呼ぶが)は解説者の前提が試される場が多いと思われる。
しかし戸田和幸の解説は目の前で起きた、視聴者が観たプレーをそのまま言語化するのではない。彼が行っていることはそのプレーにある背景や、なぜその現象が起きうるのか又は起きたのかを専門家として情報提示してくれる。
この本はある種彼のフットボールに対する哲学が散りばめられていると感じる。
なぜそのような解説が可能なのか、解説者の準備(密着:戸田和幸のある一日)を読んでもらえれば分かるだろう。
解いて説く。説くのはある意味センスが必要なことだと経験上、理解している。
しかし、やはり彼の肝は「解く」ことにある。
選手時代からの考える量、紆余曲折、その経験を情報に変換する知性、そして一試合を迎えるにあたっての膨大な資料とデータの蓄積。そしてそれを処理する速度。その努力を支える情熱。
そのような過程を経て、彼の「解く」レベルは他の解説者と一線を画す状態となったのだと驚嘆する。
ここから学ぶべきは、彼は天才ではないが、誰よりも客観的/俯瞰した点を持っていたということ。それはフットボールに対してどれほど真摯に向き合ってきたか、この一点に尽きる。つまりフットボールを外から観る感性だけではなく、本質を理解しようとする態度こそが、彼を彼たらしめるのだ。
人は誰しも得手不得手はあるだろう。しかし実直に進める人間にのみ与えれる機会というものがあるはずだ。彼はそれを自分の「色」と表現したが、そのような人種は少ない。
戸田和幸のような信念を持つ専門家が、常識を変えていくのだと信じてみたくなる、そんな本であった。
フットボールのみならず、まさにプロフェッショナルとしての流儀である。
※先日戸田さんがユーロ2024の解説を行っており、再度読み返しました。