思い出の旅行 | 小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba

思い出の旅行

先日、旅行番組を観ていてふと、「自分にとって一番印象に残っている旅行」が思い浮かんだ。

今から27年前、14歳になったばかりの中学2年生の夏休み。僕は仲良し3人組で旅行に行く計画を立てた。中学校で学割証明をもらい、家から45分かけて土浦駅までバスで向かった先は交通公社。のちのJTBですね。

3人で話し合って決めた行き先は伊豆七島の一番奥にある八丈島である。

今にして思えば携帯もない時代だし、今のように全てが便利な時代でもないのに3人の親たちはよくこの旅行を許したな、と思う。

旅行当日、まずはトレセンからバスで45分かけて土浦駅へ。そして常磐線に揺られること約1時間半で上野駅。

上野駅からは山手線で浜松町駅へ。当時、上野駅まで行くのだって一大事だった田舎の中学生にはここまでですでに未知の世界への大冒険である。浜松町から今度は歩いて竹芝桟橋へ。そしてようやく乗船である。

「すとれちあ丸」という大きな船に乗り込み11時間の船旅の始まりです。当時、高校生や大学生などヤングな人たちは伊豆七島に行くのがとても流行っていて、とにかく船内は足の踏み場もないくらいごった返していました。一番安い、「2等乗船券」で入れる雑魚寝席は満タン、船外のデッキに毛布を敷いて場所を確保。もちろんデッキだって満タン状態である。

今と違って中学生はいかにも子供、その中学生にしてみれば高校生も大学生ももの凄く大人に感じます。

坊主頭の14歳三人組はすでに船内で始まっているナンパ活動を尻目に、ラジカセから聴こえる曲を小さな声で歌っていました。当時はラジカセを持ち歩くことも流行りの1つでした。

僕が持っていったラジカセは多分、これだったと思います。
小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba

これを見て「懐かしい!」と思った方、結構いますよね?ちなみにこの時代のコンポって電源を入れると色んなランプが点灯してたりイコライザーがついてて、真っ暗な部屋の中で嬉しそうに眺めていた記憶があります。
カセットテープの中に入っていた曲は、矢沢永吉の「TAKE it TIME」、山本達彦の「夏の愛人」、TUBEの「ベストセラーサマー」、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」など。今にして思えば少しでも大人っぽい選曲をした、背伸び心だったような気がします。


そしていよいよ八丈島へ上陸。僕たちが予約したのは「ろっじふれんど」という民宿でした。

中学生な僕たちは、他のお客さんからも可愛がってもらいました。

美容師3人組でひとりは確か「さらしな」さんという方だったと思います。そして女子大生4人組で「けいえい」さんというとてもチャーミングな方がいたグループ。特に良くしてくれたこの二人の名前しか覚えていないのですが、とにかく可愛がってくれました。

海まで連れていってくれたり、夜はトランプに誘ってくれたり。

3泊4日の旅もあっという間に終わり、その翌年は今度はこの3人で神津島に行ったのですが、全てにおいて、今よりも不便な時代に子供3人だけで八丈島に旅行した経験は間違いなく僕の中で一番印象に残っている旅行の思い出です。ちなみに、「ろっじふれんど」、検索したところ、今でも営業しているようでした。

http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/54604/54604.html

いつしか、また八丈島へ行って、そこに泊まりたいな、と思います。


このとき一緒に旅をした友達、一人は「イトラン」というあだ名でいまだにそのあだ名で呼んでいるのですが、名前が伊藤、あだ名の由来は「伊藤蘭」から、というなんとも安直な由来です(笑)彼とは小学校時代は一緒に陸上をし、中学時代は一緒に居ない日はないくらい毎日一緒にいて、同じ高校に入ったものの、彼は中退してしまったのですが、今でも連絡は取り合っている仲です。もう一人の稲葉君はのちに一緒にバンドをやったりしていました。あ、稲葉君とはこの頃、東京競馬場に行って何故か補導されたこともあります(笑)稲葉君とはメイジロラモーヌの新馬戦やサクラユタカオーの天皇賞も二人で行ったなぁ。関係者の息子である僕が何故、観客席にいたかというと・・・父が「いいとこ見せなきゃ、って緊張するんだよ」と言っていたからです。誰に見られるより、子供に観られるのが一番緊張したらしいです。そんな父ですから僕が厩務員になって初めての競馬の時、父が騎乗予定だったのですが、緊張しすぎて前の週に騎乗停止処分で乗れなかったり、次のときは装鞍所の柱の陰からこっそり見てたり、レースでは未勝利戦にも関わらず、「口から心臓が出るかと思った」り(笑)

話が逸れましたが、稲葉君は4月、僕が5月、イトランは7月で41歳を迎えます。でもこの27年前の旅は3人にとって今でも変わらず何よりの思い出になっていることでしょう。

高校生になればバイク、その後は車。旅行も歳を重ねるごとに便利になっていきます。

でも、バスと電車と船を乗り継いでドキドキしながら旅行したあの日の旅行がやっぱり一番楽しかったな。


僕のもう1つの旅行の思い出、バイクの免許を取得したその日に北海道までツーリングした一人旅もいつかまた書きたいなと思います。



ここに来てくれている方のほとんどは僕と同年代だと思います。

遠い記憶の中に絶対に忘れたくない思い出の旅行、ありますか?

仕事をするようになってから、連休を取れるのは怪我や病気以外に定年退職を迎えるまでありません。

2泊、3泊で旅行に行きたいなと思うこともありますが、定年後、キャンピングカーで道の駅を全制覇する、という夢を持っています。仕事を始めてから定年まで、折り返し地点までやってきました。

これからの20年余り、一体どんな馬と出会って、どんな経験をして、どんな夢を掴むことができるのかな。

1世代20頭ずつ出会って20年働けば400頭、30年働けば600頭と出会う計算です。

まだまだこれからですね。

僕の夢であり、目標は凱旋門賞制覇。

まだまだ頑張るぞ!

凱旋門賞といえばサクラローレルでフォア賞で故障し、出走が叶わなかった悔しい思い出。

レース前、シャンティにノリちゃんがきてくれて、豊さんとノリちゃんとローレルの3ショット写真があります。

よく見ると、ローレルの曳き手を持っているのはノリちゃんなんですよ。
小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-DSC_0161.jpg
このとき、それまでの主戦、ノリちゃんから豊さんに乗り代わっての海外挑戦に物議をかもしました。

日本を発つ前、馬房の前に飾っていった春の天皇賞のポスターに「良太・ローレル、頑張れ」ってこっそり書いてくれたノリちゃん、悔しさを押し殺してこうして見に来てくれた気持ち、当時、乗り代わりに納得がいかなくて豊さんとギクシャクしていた僕に「良太、俺の目の前で豊と握手しろ。お前がそんな気持ちでどうする」と言いにわざわざ来てくれた気持ち、そしてノリちゃんのその気持ちを引き継いで臨んだ豊さん。始めて一体感を感じた日でもありました。

現地で故障し、夢の凱旋門賞まで手の届く位置まで行って断念した挫折感。このときの遠征は後の自分に大きなプラスになりました。まだまだキャリアも知識もなく、勢いだけでいっていた自分にストップをかけてくれたのはローレルの僕への教えだったような気がしています。





って最後は旅行じゃなくて競馬の話しになちゃった(笑)

まぁ、これも僕らしくていいかっ。