昨日の続き | 小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba

昨日の続き

昨日のデットーリ騎手についての話しで納得していただけた方がたくさんいてくれて、嬉しかったです。今の外国人騎手の起用について、どうしても納得できない方がいるのは重々承知だし、今回の話しでも「やっぱりそれでも…」と思われる方がいるのも当然のことです。
昨日より少し詳しく書かせて頂きます。
うちのオヤジはヨーロッパの華やかな競馬に憧れ、フランスに行くようになった頃、僕も一度だけ付いて行ったことがあります。フランスには小さな競馬場がいくつもあり、そこで結果を出して上にのし上がりたい騎手が山ほどいます。だから当然オヤジのように日本人なんかが来たらレース中に僕より若いような騎手に顔を鞭で叩かれたり、見ていて僕のほうが辛いくらいでした。でもオヤジは「いつかロンシャンで乗りたい」という夢を叶えるために毎年行き続けました。当時は日本人なんて日本の馬ならともかく、現地で認められてフランスの馬でロンシャン競馬場で乗るなんて夢のまた夢。結局その夢は叶わなかったけど、オヤジのチャレンジが1つの突破口を開きました。フランス側が「日仏対抗戦」を企画したのです。フランスと日本のリーディング上位5人が出場する企画だったのですが、フランス側の計らいで特別枠としてオヤジを招待したのです。その後、豊さんがフランスに行くようになったとき、「太さんのおかげですっかり日本人を受け入れてくれる土台ができていた」と。
オヤジはドーヴィル競馬場で1勝を挙げることができましたが、ローカル競馬場の一般レースだったけど、今でも一番の思い出だそうです。


人と人の繋がり、人と馬の繋がりはフランスと日本でもありました。サクラローレルの母ローラローラがフランスで競走馬だったころ、ビアンコーヌ厩舎だったかブータン厩舎だったか忘れてしまいましたが、そこに、将来の騎手を夢見て下働きをしながら頑張っている少年がいました。その少年はローラローラの担当として調教も世話もしていました。その少年の名は、オリビエ・ペリエ。その少年はやがて騎手になり、1994年、ヤングジョッキーズステークスに招待され、日本にやってきました。そこで、オヤジは自分の乗り馬でるローレルを、かつてローレルの母ローラローラを世話していたペリエに騎乗を譲ったのです。「ダート1800m、サラ3歳500万下」。何のへんてつもないこのレース、サクラローレルは3着以下をぶっちぎったものの、勝ち馬にはわずかに及ばずの2着。そして勝った馬は何とタイキブリザード。この2頭、後にG1馬となった2頭なんですよね。一緒に走った他の馬たちはたまったもんじゃないですよね。結果は2着だったけど、彼にそのときできる最高のプレゼントをしたと思います。

ここでも国境を越えた人と人、人と馬のつながりがありました。



今回、繋がりということを言うと、フランキーが騎乗するギンザアキレスのお母さんはかつて日本に来たときに騎乗し、見事に勝利を収めたキャッツプライドの子供なんです。何年かに1回しか日本には来ないけど、タイミングよくかつて自分が乗って勝った馬の子供に騎乗するというのも何だか縁のある話しですよね。

ちなみに僕がフランキーと一番思い出深いことは、フランキーがマイルチャンピオンシップで来日したときのこと。このとき、マイルCCは日曜日の京都競馬だったのですが、前日の土曜日は東京で騎乗しました。そして土曜日のレース後、京都に移動する際、付き添いで京都まで連れていったのですが、2人で新幹線に乗って東京から京都まで2人でプチ旅行したのが一番の思い出です。しかもグリーン席でも指定席でもなく自由席に乗って(笑)

席取りのために2人でホームを全速力で走ったのはいい思い出です。



繋がりは何も外国人だけではありません。僕がオヤジを一番尊敬しているところは、この繋がり。

安田富男騎手、蓑田早人騎手、蛯沢誠治騎手、佐藤吉勝騎手・・・引退間際、オヤジは歳を取って、乗り数が減ってしまった騎手を何人も引き受けました。そして最後はフェードアウトするんじゃなく、ちゃんと引退レースに乗せてあげたい、と馬を用意しました。岡部さんとオヤジのコンビは古いファンならビックリされましたよね。騎手時代、犬猿の仲として有名だったのにイーグルカフェを筆頭に晩年の岡部さんはほとんどの騎乗馬が小島厩舎でした。同じ世代を生き抜いてきたからこそ通じるものを大切にし、歳を重ね、体力が落ちてもそれを補うだけの経験がある。そして自分は晩年、乗り数が減り、惨めな思いもした。それをみんなには味わさせたくない、という

気持ちからでした。今は小島厩舎で僕と一緒に調教助手をしている吉永護君はミスターシービーなどに乗っていた吉永正人騎手の息子、豪腕と言われた郷原洋行騎手の息子、洋司、ミスター競馬と言われた野平祐二騎手の孫、二本柳壮・・・。自分たちが騎手時代、厳しい時代を生きてきた先人たちの血縁者を支援するのは当然のこと、そして今は横山富雄騎手の息子のノリちゃんの息子、和生。オヤジはその当事者自体とは付き合いは薄くても、自分が世話になったり、自分の先輩だったり、そういった人たちの血を大切に考えています。豊さんは別格として、関西では幸四郎もターフの魔術師と言われた武邦彦大先輩の息子。今は厳しい時代で調教師が自由に騎手を選べる時代ではないけど、できる限り、自分に体力がある限りはこのスタイルを貫き通したい、と常々言っています。これもブラッドスポーツといわれる競馬サークルの中で人間だって古くから受け継がれてきたホースマンとしての血を大切にしたいと思うオヤジの考えは僕には誇りでもあり、自分も受け継いでいきたい、と思っています。ちなみにフランキーのお父さんも元騎手でジャパンカップにも騎乗しているんですよ。







さてさて、肩が凝るような話しばかりになってしまいましたが、恒例の小島さんちの馬たちの登場です。


今日、ちょうど「寝ている写真はどうやって撮るの?」と質問もありましたが、これはラタンがちょうど寝る瞬間
小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-110527_1040~0100010001.jpg
動物にとって寝るという行為は身の危険が及ぶとても危険な時間。それを撮るには・・・・相手に敵だと思われないことですかね。





続きましてはペコちゃん。
小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-110527_1038~020001.jpg

ペコってます

小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-110527_1038~030001.jpg

ペコってません



小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-110527_1038~010001.jpg
来週、勝っちゃいますよー






同じく来週出走のリュッシーはウトウト中
小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-110527_1037~010001.jpg





そしてそして、「なう」にも書きましたが、今日、ようやくゲート試験が受かったタキオンカフェ君。
小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-110527_1116~010001.jpg
体質が弱くて、ゲートを速く出ることができなくて時間がかかっちゃったけど、これから少しづつ、です。

正月に僕のフトモモにキックしたタキオン君。その借りは今日の試験合格でしっかり返してくれました。

合格したせいか、いつもより「どや顔」です。







今日の新聞を見ていたらこんな名前の馬が出走しています。
小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba-110527_0936~0100010001.jpg
「そこをお退き!」です(笑)






明日は東京でエデン、新潟でイグナイツっ!とプレジャー。

はい、乗ってるのは小島さんちの子と横山さんちの子です(笑)


ファイトいっぱつ、頑張ってもらいましょう!



















自分って古い人間なんだなぁ、と思った瞬間。

「帽子を被ったまま食事をしている男子を見るとつい怒りたくなる」

イマドキは男子も帽子は洋服の一部なんだろね。