レガーロのこと | 小島良太オフィシャルブログ「馬なりぃ」Powered by Ameba

レガーロのこと

皆さん、レガーロに対するたくさんの思い出やコメントを書いてくださりありがとうございました。

改めてレガーロは皆さんにも愛して貰えてたんだということが再確認できてレガーロも喜んでくれてると思います。
当日は気持ちも動揺していて、ちゃんとレガーロのことを書けなかったので今日は思い出話しを書きたいと思います。


レガーロが死んだとき、調教師がレガーロに話しかけていました。
「お前はうちの、俺の一番の功労馬だったな。お前のおかげでメイショウさんから信用を得ることができて今の俺がある、弟がお前の分まで頑張ってくれるよな」と。

リーディング上位が定位置だった小島厩舎が低迷期に陥り、重賞レースに出走できる馬がいない中、レガーロが奮起してくれていました。春のクラシックでは皐月賞の優先出走権が3着までの弥生賞で4着、皐月賞には賞金順番ギリギリで出れたけどダービー優先出走権がかかった皐月賞は4着までなのに5着、もう一度権利取りのために挑んだ青葉賞では優先出走権が3着までなのに4着。権利がなく賞金順に賭けたダービーでは18頭出走枠で19番目。いつもあと1つで涙を飲んだのは今にしてみたらレガーロらしい成績だったなぁ。もしかしたらレガーロにとっては男ばっかりのダービーなんて興味がなかったのかな?

でもレガーロは重賞は勝てなかったけど、重賞レースで8回も掲示板に載ってくれた。そして8回のうちのほとんどがゴール前の急ブレーキで負けたレースばかり。それもまたレガーロらしいよね。

レガーロの最後のレースとなったキャピタルステークスはJCの日で、彼が2勝目を挙げたベゴニア賞もまた4年前のJCの日でした。4年前のあの日はクラシックを夢見て喜んだ日でした。

レガーロにはたくさんの騎手が乗ったけど幸四郎とのコンビが一番楽しかった。新馬戦で2着だったときはスタートからゴールまで鳴きまくり幸四郎に「お前、うるさいわ!」と言われ、今年の巴賞でゴール前でブレーキをかけて2着になったときは「お前一体何なんやねん」と言われ。でも幸四郎のそんな言葉さえもレガーロにはピッタリだった。

口から泡を吹きながら汗だくになって調教し、厩舎に戻ればガーガー寝たり、やたらと甘えたり。競馬に行けばみんなより100m手前がレガーロにとってのゴール板。あれだけやんちゃで困らせてばかりなのにあんなにみんなに可愛がられたのはレガーロの憎めない性格が物語ってる。

今日、お坊さんに来てもらって葬儀をします。彼のたてがみと蹄鉄は美浦の馬頭観音に奉納せずに生まれ故郷の三嶋牧場に埋葬されることになりました。そこには産みの親のコッコレがいて、育ての親である牧場の従業員の方たちもいて、一番の場所かもしれません。

4年2ヶ月の競走馬生活の中でレガーロが走った27戦、どのレースも印象深く覚えています。

レガーロはもういなくちゃったけど、僕たちは立ち止まってるわけにはいきません。今週、レガーロの弟、メイショウオオゾラが出走します。レガーロが出走できなかったダービーを目指してこれから厳しいレースを戦っていかなくてはなりません。

残された者の役目は、戦い続けることだと思います。



皆さんにこんなに愛されたレガーロは本当に幸せ者です。

幸せはずっと続いて欲しかったけど、今頃レガーロは僕に気兼ねなく牝馬を追いかけまわしてるんでしょうね。



皆さん、今までレガーロの応援、ありがとうございました。

レガーロに代わってお礼を申し上げます。









でもやっぱり悲しいや