ラーちんが昨年の10月13日に他界しました。

9歳でした。本当は、今年の一月に10歳になれ

だけど。丈夫が取り柄の我が家の子なのに、

急でした。しかも、同胎兄弟犬のオレンジくん

(当時パピーでオレンジのリボンをつけてた)

彼は行方わからず探していました。

彼は大阪のバビーミルにお里から売られてた

男のこ、交配なんかいもされてしかも劣悪な環境で、狭いゲージに入れられ、豊かだったコートも汚く保護された時は、フィラリア陽性でした。

でも、心ある人に家の子にしてもらい、治療を受けて寛解しました。昨年の春に、腎臓結石がわかり、膀胱炎で通院をし、治療中でした。

それまでは他の家族のアフガンたちと良く山や川に遊びに行き彼は健康的であちこちへ

連れて行ってもらい、家族と思いっきり遊んだそうです。しかし、時を同じくして、彼も、ラーちんが亡くなった一週間後に同じ病気で手術したが

他界しました。

ブリーダーさんから旅立って知ってたこたちは

みんな早く亡くなってしまい、ラーちんは、

元気に健康寿命、更新中だったのに。ラーちんもオレンジくんの一週間前に同じ病気で、他界

したのです。ラーちんは手術はしませんでした。

石があるのがわかったのが九月症状が出たからです。でも、検査結果は九月初めには、すごく正常

安心して後は薬飲ませれば石は大きめだから、尿道に詰まらないだろうといわれ、投薬で済んだはずでしたが、症状が出てから一週間で亡くなりました。本当に辛すぎて信じれません。


ここのブログでも、ボルことヴォルキー、ミルキー、アニキ、そして、ラーちんことラーブル、

だったのにとてもまさかの結果で大変悔しかった

し、後悔は尽きません。

兄弟まるで時限爆弾が同時に破裂した気がした。

手術してもダメだったと思います。

健康的にきても、こんなこともあるのだとアニキの時の教訓だったはずなのに同じことを私はしたのではないか、それまで健康で、数値も九月まで(亡くなる一ヶ月前)は、膀胱炎を治療して石は

大丈夫と診断を得たのにね、


とても書けないです。応援して可愛がってくれた皆様、ブロ友さん、黙ってて、御免なさい。


キリルやサルサのために頑張ります。

健康的だとしても定期検査したとしても、

急なこういうことはあるのだと、。。辛いです。



初めて誘われて出たベビーベストインショー

ユージンブレイクさんは、ジャッジで、縁があり

昨年FCI 北九州のドッグショーの連合展で

再び、アメリカのユージンブレイクさんジャッジ、サルサが、ジュニアででたとき、チャンピオンに勝ち彼女はオーバースペシャルをとりました。(お里は彼女はアメリカです)キリルは飛行機に乗れない大きさなので

可哀想だからお留守番を私としていました。

二日目は、オーストラリアのジャッジで、

サルサは見事ベストグループ二席になりました。

お立ち台で1日目連合は、ユージンブレイクさんはラーブルの名前だけはしっかりと記憶しておられました。オーナーハンドラーの娘のひかりのことは、すっかり忘れていましたが、ラーブルの名前を言ったら、覚えておられてあの子は素晴らしい子犬だったと褒めてくれました。

しかも、このショーの一ヶ月前、

ユージンブレイクさんは、ラーブルのことは、なぜかしっかり覚えてくださっていて、

Facebookのラーブルの訃報をしり、すぐにお悔やみと慰めのお優しいコメントをしてくださっていたのです。もう、かれこれ、9年前の日本でのショーなのにね。お心がとても嬉しかった。

ちびちびラーちんは、アメリカのトップジャッジ(その年のウエストミンスターショーのベストグループのジャッジ)の心を見事とらえたのです。

本当、お言葉に涙が出ました。









好き❤️  会いたい  スネスネラーブル