竜馬堂代表の桑名です。
私はいま、
高知県の、ある専門学校で
ファイナンシャルプランニングの授業を受け持っています。
学生と付き合うのはなかなか大変です。
大人の顔をしてはいますが、中身はまだ子供。
そんな彼らを見ていると、
どうしても昔の自分を思い出してしまいます。
他人に厳しく、自分に甘かった20歳の頃の自分のことを。
そして、学生たちがこれから遭遇するであろう
試練や壁の大きさ、辛い経験を想像して、
ただただ祈らずにはいられない気持ちになります。
無限の可能性を秘めながら
それに気付こうともせず、
暗闇のなかで孤独に耐え、ひたすらもがき苦しんでいた
あの頃の自分を思い出しながら――。
15年前。
「あー、どうすればいいんだろう」
桜の開花を待つばかりの3月のキャンパスで、
僕は大学3年に進むことが決まったばかりでした。
僕は決断を迫られていました。
というのも、友人はみんな卒業が決まっていたからです。
そうです、僕は2年も留年していたのです。(;^_^A
単位数は足りていたのですが、
必修科目担当の教授に単位をもらえなかったのです。
原因はテスト。
僕はいつも、教科書の内容を批判的に評価し、
乱読の読書で培った持論をとうとうと展開するような
挑発的な答案ばかり書いていました。
そんな答案に高得点を付けてくれる教授もなかにはいましたが、
必修の科目では決まって赤点。
僕の専攻は教育学です。
現在の学校教育に疑問を感じて、この専攻を選んだ僕には、
大学の授業は、不真面目以外の何ものでもなく思われました。
カビが生えたかのような古臭い知識に安住する大学教授からは
現実に対する感受性や問題意識ばかりか
活力も、人間的魅力も何ひとつ感じることができませんでした。
伝わってきたのは、無責任さだけ。
当時の僕は、
自分が「おかしい」「間違っている」と思うことを頭に流し込むくらいなら
死んだほうがましだと本気で思っていました。
若かったのです。留年するのも当然でした。
ただ、大学の授業に失望しながらも、
僕は学生としてのぬるい立場や、友人たちと過ごす楽しい時間を
いつまでも捨てられずにいました。
いま思えば、
大学に不満を抱きながら4年間もたらたら過ごしていた僕のほうこそ
大学教授などより、よほど無責任だったのだと思います。
友人の一人が教授にねじ込んでくれたおかげで
なんとか3年に進めることにはなったものの、
これ以上大学に残っていても何も得るものはなく、
時間の無駄でしかないことは、誰よりも自分自身がよく判っていました。
大学を中退する――
そうはいっても、それはそう簡単に決断できることではありません。
僕はそれまで自分の置かれた状況から逃げてばかりで、
周りの友人たちと同じ生活しかしてきていませんでした。
べつに就職を希望する業界でバイトをしていたわけでもなければ
親のコネで就職できるアテがあったわけでもなく、
将来なりたいものは? と聞かれても何も答えられない状態。
いま大学を辞めたところで、
自分が何をすればいいのか、自分に何ができるのか
さっぱり分からなかったのです。
本当に情けない状態でした。
恥ずかしながら
僕はそのとき初めて
自分という人間が空っぽの人間だということに
気付いたのです。
決断の期限は迫っていました。
大学を辞めるのか、それとも留まるのか。(つづく)