何故ダメダメな大河ドラマができるのか?
今回の「光る君へ」は歴史的に見ても民俗学的に見ても現代人から見ても、おかしいところが多々ある。
前々から思っていたが、今回は目に余る。
高御座(たかみくら)にこれから即位する天皇が座るのに、その前に(よくわからないが子供の首のような?)何か穢れたものがあったにもかかわらず、袖で拭いて即位を行う。しかもそれを、道長の父が褒めている。家来たちが、「ここは穢れています」といっているにもかかわらず、だ。
天皇の初めての国家儀式である。
穢れをまたは死穢を嫌う平安の人々である。
現代でももし、天皇が座るところにそんなものがあったら儀式を取りやめにしないにしても、新しい高御座を作りなおすとかする。(そうなると当然延期になるが)
この作者は穢れという概念を知らないのか知っててわざとやっているのか?
どちらにしても普通の感覚ではない。もしかしたら病気になるようなこともある。
そこがわかってない。
そもそも自分の父親が失業したら、いきなり摂政(今でいえば総理大臣である。)に再就職を頼みに行ったりしない。それで摂政も小娘に会ったりしない。余ほど暇なのか?
仮に摂政がウンと言わなくても、道長に頼めばかわいい息子の為に多少の骨を折るだろう。
さらに、北の方(正妻)でなければダメという、まひろのココロ。をいをい、現代のおなごであればわかるが当時は何人も妻を持つことは当たり前。気持ちはわからなくはないが、それは恋に恋する少女漫画のヒロインじゃないか?
あ?もしかするとタイムマシンで現代からやってきたという設定なのか?(笑)
前回の地面を手で掘って死体を埋めるのもおかしい。まず、あんな浅い掘りでは、犬や動物が来て死体を漁ってしまう。だいたい、何も道具を使わず手で掘れるものではない。よほど剛の者でなければ、地面は固い。砂地か火山灰(関東ローム層とか)だったら掘れるかもしれないが、鳥辺野はどうなのか?
そろそろ、見るのが限界かもしれない。