発音がどんどん変化すること | 大河と龍

発音がどんどん変化すること

日本語は一般的に単語はどんどん複雑になり、発音はどんどん単純になる。

たとえば『を』。『を』と『お』を区別する人たちがいる。『を』はwoと発音する。現代でもある地域では区別している。もといえば『ぢ』と『じ』。地面はぢめんだが、じめんではない。送り仮名をつけるときにはぢめんが正しい。『づ』と『ず』も違う。しかし実際の話し言葉ではほとんど消えている。東北の方では『い』と『え』の中間みたいな発音がある。

 

もっと言えば細かい子音や母音が50音では表現できないものが無数にある。特に古い地方の言葉に多い。沖縄東北に限らず、地方の古老の言葉は中央の人間にはほとんどわからない。複雑なので語彙を聞き取れないのだ。あいうえおだけで発音できないとても複雑な母音、子音を発声をしている。

 

単語はどんどん意味が狭まっていく。反対に言うとそれを表す単語が細かく区別して増えていく。色がそうだ。日本の信号は緑色でも『あお』と呼ぶ。「青になったら横断歩道を渡りましょう」と教えられる。しかし厚切りジェイソンは「ホワーイ、ジャパニーズピーポー!」と叫ぶ。なんで緑色なのに青と呼ぶのか納得がいかないのだ。もっともなことである。

 

青と緑はどちらが古い言葉なのか推理すると、青が古いと考えると都合が良い。つまり大昔は青で緑や寒色系の色を代用していたのだ。だがすぐにそれでは都合が悪いので緑という単語が誕生したのだ。日本は歴史が古いから緑が誕生しても青の単語で代用する人たちがいるのだ。

 

もっともこれは古代のことである。文明進めば複雑な言葉が増えていく。最初は一つの単語で大きな守備範囲をもっていたのがだんだんと細かい単語が増えてその意味が狭まっていく。その意味で言えば日本語は大変複雑で単語も多いから文明進んであるのかもしれない(笑)。