ブログってのは、生活の中にそれを書いたり読んだりする時間がないと、なかなか書かないもんですね。

自分の生活が安定して、コントロールできているときはいいけど、乱れてくると時間配分もできなくなるもんですね。そんなこんなで結局1年が過ぎてしまいました。

漢籍を読むことは多いですが、やはり情緒の豊かさは、日本の古典を読んでるときにこそ感じます。ぼちぼちアップしていこうと思います。

 世界の男、貴なるも賤しきも、「いかでこのかくや姫をえてしがな、見てしがな」と音に聞き、めでて惑ふ。そのあたりの垣にも家のとにも、おる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安きいも寝ず、闇の夜に出でても穴をくじり、あるひは見惑ひあへり。さる時よりなん、よばひとは言ひける。人の物ともせぬ所に惑ひありけども、何の験あるべくも見えず、家の人どもに、物をだに言はんとて言ひかくれども、ことともせず、あたりを離れぬ君だち、夜を明かし日を暮らす多かり。愚かなる人は、ようなき有様はよしなかりけりとて、来ずなりにけり。


 惑ふ:こころが落ち着かない

 安きいも寝ず:熟睡できない

 言ひかくれども:話しかけるけれども

 愚かなる人:浅はかな男

 よしなかりけり:無意味だ


夜寝る間も惜しんで女のところを訪ねていくのを、よばいというんだ、というのが面白いですね。

男たちは”バカ”なんでしょうか?今の芸能人に熱狂するファンと似通ったところがあるようにも思えます。風評の媒体が異なるだけですね。。




 その中になほ言ひけるは、色好みといはるる限り五人、思ひやむ事なく夜昼来けり。その名ども、石作の皇子、車持の皇子、左大臣阿倍の御主人、大納言大伴の御行、中納言石上の麻呂足、この人々なりけり。世の中に多かる人をだにすこしも容貌よしと聞きては得まほしうする人どもなりければ、かくや姫を見まほしうて物も食はず、思ひつつかの家に行てたたずみありきけれど、かひあるべくもあらず。

 文を書きてやれども返事もせず。侘歌たど書きておこすれどもかひなしと思へど、霜月師走の降りこほり、水無月の照りはたたくにもさはらず来たり。この人々、ある時は竹取を呼び出でて、「むすめを我にたべ」と伏拝み、手をすり宣へど、「己がなさぬ子なれば、心にも従はずなんある」といひて月日過ぐす。かかれば、この人々、家に帰りて物を思ひ、祈りをし願を立つ。思ひやむべくもあらず。「さりともつひに男逢はせざらんやは」と思ひて、頼みをかけたり。あながちに志を見えありく。


 思ひやむ事なく:やんごとなしではないです。思いを断つことができない

 たたずみありきけれど:周囲をうろうろしていたけれど

 照りはたたく:日が照ったり、雷が激しくなったりする

 さはらず:ものともせずに

 あながちに:無理に


最後がいいですね。「そうはいっても、最後まで男と結婚させないだろうか、いや…」といって期待する、ってとこね。片思いで頑張ってむくわれないことは…つらいですよね。そのつらさの中に美しさがある?のでしょうか。自分のことに置き換えると…難しいですね。

 竹取の翁竹を取るに、この子を見つけて後に、竹取るに節を隔ててよ毎に金ある竹を見付くる事かさなりぬ。翁やうやう豊かになりゆき、このちご養ふ程に、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになる程に、よき程なる人になりぬれば、髪あげなどさうしてかみあげさせ、裳着す。

 帳のうちよりも出さず、いつき養ふ。このちごの容貌のけさうなること世になく、屋のうちは暗き所もなく光満ちたり。翁心地悪しく苦しき時も、この子を見れば苦しきこともやみぬ。腹立たしき事も慰さみたり。


   

   

二段です。わかりにくいところは、

よ毎に:「よ」が、竹の節と節の間の空洞の部分。

金は”こがね”と読みます。

さうして:「左右して」と書き、手配させて、と解釈するのがいいかと。

   

   

   

 翁竹を取る事久しくなりぬ。勢猛の者になりにけり。この子いと大きになりぬれば、名を三室戸斎部の秋田を呼びて、付けさす。あきた「なよ竹のかくや姫」と付けつ。この程三日のうちあげ遊ぶ。万の遊びをぞしける。男はうけ嫌はず、呼び集へていとかしこく遊ぶ。




うけ嫌はず:えり好みせず、誰でも、ということ。

かしこく:盛大に


   



かぐやが大人になりました。髪あげもしてね。名前を付けて宴会して、ワイワイ遊んだと。

次の段あたりからエンジンがかかってきます。