褒める という行動。

[立派な行い・努力した点を認めて]良く言う(新明解第6版国語辞典より)
辞書の上ではこういう意味だと調べて改めて知った。
これを考えると人を褒めるということはその人の“行い”“努力”に対して第三者からのいいコメントやおそらく労いも多少は含まれるだろう

そう考えると僕の人生で褒められた回数は果たしていくつだろうか
中学一年の学年末試験の数学で満点をとって塾の先生に本気で「よくやった」と言われたことがまず最初に思い浮かんだ。(最初に浮かんだだけなので自慢の意図はありません)

そう考えたときに「褒められた」と思っていいハードルが思った以上に高いと感じた。余談だが数学は中二を境に得意科目ではなくなり、高校時代は進級、卒業に大きく足をひっぱった。

よく「褒め上手」な女や部下、後輩になるhowto本やネットニュースの記事がある。そして「ここを褒めろ」と服のセンスだ髪型だなどと言っているがあれは褒めるには含まれていない。そういった類のものは決して褒め言葉ではない。褒めるというのは人の良い行動や努力に対してだからだ。服や髪型を褒めるのはいい服を作ルために努力したデザイナーやうまくカットした美容師にたいしてだろうな。店に行ったぐらいではいい行動にはならないだろう。

褒め言葉とそうでないモノの違いは返答に困るか困らないかにあると思う。褒め言葉に対する返答は謙遜が日本の美徳だ。「そんなことないですよ」が何より綺麗にハマる。これが褒め言葉。たとえば誰かの仕事が内外で大きく評価されたときに褒め言葉を言うと「そんなことないですよ、チームに助けられました」みたいなことになる

これが褒め言葉でない言葉(ここでは「褒めた気言葉」と呼ぼう)たとえば新しく入ったバイトでも社員でもいい、いわゆる高学歴な人に「~大ってことは頭イイんだね」と言い「そんなことないですよ」と言えばそれを言った側に解釈の良し悪しが完全にゆだねられてしまう。謙遜ととる人が大多数だろうがもし嫌味ととった人がいれば。もしその人が特定のコミュニティで絶対的な影響力を持っていれば。しかしどんな風に言っても結果は同じになりそう。恐らくこんなことを考えながら受け答えてる人をたくさん見てきた。女性が多いなというのが個人的な見解。容姿や出身地、親の職業もまた然り。

この「褒めた気言葉」は言ったもん勝ち。言ってしまえばこれはもう振れば必ず致命傷の傷を負わせられるとんでもない刀だろう。だからそんな空気を察したら真っ先に鞘から刀を抜いて斬ってしまおう。そういう人ほど褒められてないからな。先手必勝だ。



しまった「先輩の(特にお局の)地雷」という鎧を忘れていた
これでは刀が折れて自分に刺さってしまう。

日々のできごと書いたところで何もないだろうと思ったので、日々考えてることを書いてみたいと思います。


それなりのモラルやマナーは守りながら