リハビリと共に、心療内科にも行った。
長距離の移動が無理になってきたのだが、運良く自宅から近い所に信頼のおける心療内科の医師がいたのが幸いだった。

そこで、初めてS医師の書いた診断書をみた。


それは、診断書と言うよりはカンファレンスでも使えるくらい最初の症状が起こってから退院するまでの詳細な記録と検査結果、担当医師の考察等が事細かに記載してあった。
こんな、診断書を今までに見たことはない。
S医師の誠実さに感謝した。

心療内科のO医師と話したが、やはり精神的な問題は見つからなかった。

本来なら、いきなりこういう状況下におかれた時には逆にショックで鬱病になってもおかしくないのに、何故にそこまで前向きに考えられるかと質問されたくらいだった。

まったくと言ったら嘘になるが、この時までの僕は、


「何故?何が俺の体に起こってしまったんだ!」


という思いに悩まされたのも事実だし、今まで普通に出来たことが出来なくなっていく歯がゆさや辛さはあったが、とにかく病名がわからない為、体が思うように動かなくなっても一時的なものかもしれないし、何か治療方法は必ずあるはずと信じていた。

若い頃の経験や海外での一人旅のハプニングも何とか乗り越えてきた経験からも、

どん底になってもまた這い上がればいいだけの問題

だと思っていたこと、検査や治療方法においてもまだどこかで何かの方法はあるはずだと、どんなに体中を痛みが襲っても、


「必ず何か方法があるはずだ!」


というプラスの精神力と


「ちくしょう!なんでこんな事になっちまったんだ!」


というマイナスかもしれないが、怒りともいえる何処からか沸いてくるパワーが僕を支えていた。

まして、精神的なことが問題ならそれはそれでいい。必ず治せるという期待感すらも持っていた。


心療内科的にも原因は不明の病気だが、


「身体表現性疼痛障害」


といって科学的根拠のない状態でも今の僕と同じように痛みを伴う病気があるのも知っていたから、とにかく病名がつきさせすれば治療方法が見つかるという微かな望みにも賭けていた。

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