市民総合体育館での修行が休みの今日も、朝から曇り。
雨は降ってないが、この灰色の雲の向こうには、青空が広がっているんだと想像すると、口惜しいような嬉しいような、相反する気持ちで、なんだかもやもやしてしまう。



ああ、そういう意味だったのかと、後になってようやく腑に落ちることがある。

この吉田拓郎の『王様達のハイキング』という曲を久し振りに聴いて、王様の物見遊山ではなかったのだと、今更ながら詞の内容に感動してしまった。

吉田拓郎恐るべし、である。



ラジオしか聴けなくなったミニコンポ、重たいだけのスティッククリーナー、二十年近く弾いていなかった電子ピアノを、ハードオフに引き取ってもらった。

当初は捨てるために環境センターへ持ち込もうと思っていたが、動けば引き取るとハードオフのホームページにあったので依頼した。

総計で560円。

捨てようと思っていた物に、高低は別にしても価値を付けてくれたことに感謝だ。



ミニコンポは、カセットテープ、CD、MD、そしてラジオ機能があった。

家の中のタンスや引き出しには、まだカセットテープやMDの一個や二枚などが、あるはず。

電子ピアノは、娘が小学校低学年の時に、近くの知人のピアノ教室へ通い始めてから買ったもの。

掃除機は、我が家初めてのスティックタイプのものだった。

無用になったから手放したわけだが、使わなくなっても部屋の隅にあって、それがなくなってみると、その物自体の喪失感というよりも、それらにまつわる〝想い〟の大きさが、じわじわと湧いてくる。



午後、少しだけ青空が見えた今日の短い散歩、3.9km。



プランターや鉢に植えたあれこれは、順調に育っている。


人間は必ず裸で生まれてくる。

その裸の自分に、衣服が着せられ言葉が与えられ、必要不必要、綺麗汚い、正しい正しくない…などの情報が無制限に押し寄せてくる。

取捨選択も、もしかしたらどれが正解なのかを判断する前に、決めなければならないことになる。


裸の王様は、もしかしたら〝生まれたままの自分〟に戻っただけの姿なのかもしれない。

木を隠すなら森に、人を隠すなら人混みの中に…ミステリーの基本は、そのまま自分の生き方に当てはまるのかも。


雲に隠された青空、明日は見えるかなあ。