修行先の市民総合体育館は、東京ドーム11個分の広さの智光山公園の一画にあり、今日も穏やかな緑風が体育館を包んでいた…な〜んちゃって・笑。

湿気は多くなってきたようだけど、梅雨入り前の爽やかな陽気を感じながら、今日も体育館をお掃除。

 
 
四月に出来たボルダリング・ウォールを、知り合いの氏の広報課の職員が撮影しに来ていた。
訊いたら、六月にボルダリング教室を開催するとのこと。
狭山市の広報誌に詳しく載っていたので、転載すると…。
 
【親子でボルダリング教室】
対象:市内在住・在勤・在学の小学生と保護者
日時:6月1日(土)、①9時〜10時15分②11時〜12時15分
定員:各10組
費用:500円(保険料など)
申込み:5月20日(月)から費用を持って市役所スポーツ振興課へ
 
ということなので、挑戦してみたい方、お待ちしてます。
 
 
(↑クリックするとYou Tubeにリンクします)
 
 
誰もがパソコンやスマートフォン、タブレットを使うようになり、SNSというコミュニケーション・ツールが当たり前になったのは、まあ良いことなのだろうけれど、それにしてもそこでの〝言葉の表現〟に対するやり取りでトラブルが多々起きている。
Twitterなどで〝つぶやく〟のは、いわば井戸端会議のようなものだと僕は思っている。
だからこそ好き勝手なことを、その場限りのこととして喋り合っているものだと捉えていたのだが、善し悪しは別にして、まあくだらないツッコミや反応が多く、それも当事者じゃなく前後の事情も判らないのに口を挟んで、ああだこうだとキツい言葉での応酬を繰り返す輩が多い。
まあそれはそれで、当事者がどうすればいいのかを判断し、対処すればいいのだが、SNSじゃないところで舌禍事件を起こしている国会議員もいて、日本語の乱れというよりも、言葉の大切さがどうも軽んじられているように感じてならない。
 
 
言葉には〝言霊〟が宿っていることを、もっともっと意識して欲しいのだけどね。
かく言う僕も、そんな偉そうなことを言えるほど、慎重な言葉遣いをしているわけではないかもしれないけれど、自分で確かめたもの以外のことに関しては、今は口に出さないようにしている。
自分できちんとニュースソースを確認出来ないものを、断定的に語れはしない。
 
どんなに怒っていても、一つ二つ深呼吸をすれば、態度も言葉も穏やかになれるはずだ、と思いながらの今日の散歩、6.6km。
 
 
罵倒の言葉をたくさん用意するよりも、言葉の最後に必ず『ありがとう』と付ければいいだけなのだ。
 
僕は君にずっと感謝しているから、今日もこうして言葉を送っている。
どんなに離れていても、いつも心には〝ありがとう〟。