3連休になるので、書いてるネタは投稿しておきますね。
柳川に入った立花宗茂と誾千代様ですが、子供に恵まれ
無かったので、ますます一緒に居るのが辛くなった誾千代様は
柳川の宮永と言う場所に移り、ついに別居生活へ、、。
この後、二人は同じ屋根の下に住むことは有りませんでした。
実際に残る誾千代様の肖像(やはり美人だと思う)
そして関ケ原での西軍の敗戦、、。
殆ど戦力を残した宗茂は、関ケ原を敵中突破してボロボロに
なった島津義弘を守って九州に戻って来ます。
※実は島津は同じ西軍では有りますが、宗茂の実父の
仇なんです。実際、家康に恭順するにあたり島津義弘を
討ち取りましょうと進言する家臣も居ましたが、宗茂に
一喝されています。
西軍に味方する事に反対した誾千代ですが、この時は
城に戻り、宗茂を出迎えています。
さて東軍の黒田如水、加藤清正、鍋島直茂が柳川城に迫ります。
特に西軍から東軍に寝返った鍋島直茂は大軍で柳川に攻め込みます。
この辺りが葉隠れ、、。転んでもただでは起きない、、。
宗茂の家臣は大川市付近でこれを迎え撃ち奮戦しますが
多勢に無勢、、。柳川城に撤退します。
誾千代様は、柳川の宮永で陣を張り、鍋島の水軍に鉄砲を
撃ちかけたり、熊本から進軍する加藤清正に睨みを効かせて
いました。加藤清正も誾千代が本気であるのを知り、進軍のルートを
変えたそうです。
※実は加藤清正は大陸出兵の折に、立花宗茂に窮地を救われた事が有り
何とか宗茂を救いたいと思っていました。
宗茂が改易された後も、加藤清正は大半の家臣を引き取り、誾千代を
自分の領地に住まわせ、宗茂に生活費を贈っています。
上2枚は立花宗茂肖像(流石戦国武将 猪首で強そう)
柳川立花家に残る宗茂の甲冑
黒田如水と加藤清正の説得で柳川城は開城され、立花宗茂は浪人と
なりました。
誾千代は熊本県の玉名に移り、加藤清正に庇護される身分になります。
さてここから、立花宗茂の大名復活に向けた、戦いが始まります。
それはまた別の機会に、、。
誾千代様は、身体を壊してこの2年後に34歳で亡くなりますが
言い伝えでは日々、宗茂の復活を祈り、願掛けを
怠らなかったそうです。
その18年後の1620年、立花宗茂は元の領地、柳川に奇跡の復活を遂げます。
誾千代様は柳川の三柱神社に神として父、立花道雪、夫 立花宗茂と共に祀られて
います。
今は幸せに3人で暮らしているのかも、、。



