みなさま、大変ご無沙汰しております。
たーろんです。
今年は、個人的にはコロナやインフルに相次いで罹患し、ホルチンにも出張(里帰り)できず、悶々とした日が続いておりました。
そんな折に、富士フイルムの中国法人から取材を受けました。わざわざ横浜の本部事務所まで来てくださるとのことで、久しぶりにスタッフ以外と中国語で会話ができるぞ!と密かに楽しみにしておりました。
(普段異国語で不自由なことこのうえないもんね)
以前のブログでもお伝えしたように、富士フイルムグループが緑化に取り組んで25周年とのことで、それに関連する取材でした。
ちなみに、15周年の時はホームのホルチン取材を受けたので、中国からお越しくださるお客様のありがたみというのは全く感じませんでした。
当日は、カメラマンとインタビュアーの2名がご来訪。中国語で挨拶をしたところ、とっても上手な日本語で返されました。2人とも中国からの留学生で、私が誉めるのが失礼な流暢な日本語を話されてました。
(見習わないとね)
なんだか、撮影の方が長くて、こうして事務所のビルの前から通勤風景を撮影したいとかで、ふらふら歩いてみたり。
(ズームの画像もあるのですが、ある部分の砂漠化が目立つのでこれくらいにしておきます)
前回もこんな感じだったそうですね。
(私なんて、ロードバイクで走らせれたりギター弾かされたり、何の取材だったのか。。)
事務所に帰ってくると、普段読みもしない本を書棚から取り出して眺めてくれと。。
(触れたことないよね、うちの書棚なんて)
色々やらせ演出が大変なんですね。。
気を取り直して日本語で取材・撮影を続けていったのですが、いきなり本題に入る前の質問で行き詰まってしまいました。
インタビュアー:
「緑化ネットワークは2000年設立とのことですが、富士フィルムグループとは25年のお付き合いと聞きました。どういうことですか?」
私は1997年に日本の大学を卒業後、当時、中国内モンゴル自治区西部のクブチ砂漠という場所で緑化をしてる日本の非営利団体に就職しました。そして、1998年に日本の富士フィルム労働組合がその団体にボランティアツアーを派遣され、現地スタッフとしてお世話をすることになったのが最初の出会いでした。その後、1999年に同僚だったべいぷさんが新しい団体を作るというので、誘われて加わったのが今の緑化ネットワークです。なので、緑化ネットワークとしては、当然設立24年目ですから富士フイルムの方が砂漠での活動は古参なわけですが、たーろん個人としては、富士フイルムさんの活動当初からご縁があったというわけです。しかし、インタビュー時は慣れない日本語だってこともあり、話をだいぶ端折ってしまったらしく、上手く相手に伝わりませんでした。。
(いつも肝心なところ端折りすぎ)
べいぷさんが助け舟を出してくれて、上記の様に丁寧な説明をしてくれたおかげで、ようやく相手に納得していただき、こと無きを得ました。
(あんたのインタビューなのに、私が話してる時間の方が長かったという。。)
その後、インタビューは中国語に変えて続けてもらいました。はー、こっちの方が楽。。
かたや、べいぷさんは事前にいただいていた質問内容とかなり違う質問をぶつけられても、スラスラ答えていました。立板に水って言うんですかね?インタビュアーも母国語の中国語で私が答えるよりも、日本語のべいぷさんの回答の方がわかりやすかった様で、神妙な面持ちで回答を聞き、その後特に質問もなくあっさり終わっちゃいました。なんで?
(さー。。)
自分が知っている内容を知らない人に伝えるのは、いったん頭の中で整理してから話さないと、ただべらべらしゃべっているだけでは、聞いている人には上手く伝わらないんですね。たーろんにインタビューしている時の担当者の怪訝な表情を思い出しながら、気を付けようと思いました。
(加油!)
(おしまい)
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