みなさん、こんにちは。
うぇんじゅんです。
不定期連載というか、緑化ネットワークの仕事や、ホルチンなど地元の紹介じゃなくて、自分の好きなこと書いていいのかな?と思ったんですが、べいぷさんがすごく褒めてくれましたので、調子に乗ってこれからも私が中国史で好きな人物を紹介していくことにします!
(加油!!)
今回紹介するのは白起、戦国四大名将と呼ばれる大将軍です。
中国の戦国時代は、紀元前450年〜紀元前200年ぐらいまでの約250年間、「燕」「趙」「斉」「魏」「韓」「秦」「楚」という7つの国に分かれて覇権を争っていた乱世で、さまざまな英雄豪傑が出現しました。
白起は、秦の国に仕えた武将です。彼の特徴は、単純に力が強いとか武器を扱うのが上手いとかではなく、大軍を編成しつつも力押しだけではなく、敵の弱点を正確に把握し巧妙な攻めを得意としていたことです。その結果、彼が将軍の地位に就いていた約30年間に、70以上の都市を攻め落としました。そして、一度も負けていないのです。まさに常勝将軍!最終的には、白起の軍が攻めて来た、となると戦わずして降伏する軍隊まで出てきたそうです。名声だけで勝てるなんて、めちゃめちゃすごいですね!
そんな白起大将軍を私が好きな理由は、じつは強いだけではないんです。大軍を率いる権力を持った大将軍である白起は、自ら国王になろうとはしなかったんです。当時、軍隊を掌握した将軍はクーデターを起こして国を乗っ取ることがたびたびあったんです。まさに戦国乱世ですね。
しかも、白起は最終的に、仕えていた秦の国王から不信感を抱かれて自害させられたのです。敵の戦力を分析する能力に長けている白起なら、きっと秦の国王から疑われていることも見抜いていたはずです。それでも国を奪おうとせず、自害を受け入れたのは、一生を秦の国のために捧げた本当の英雄だからだと思います。同じく戦国四大名将の一人、廉頗(れんぱ)などは、同じように仕えていた趙の王と対立した結果、国を去って他国に亡命してしまいます。この時代はむしろ、白起のように忠義を貫いた武将が珍しく、ここも私の好きなポイントですよ!
(日本にもファンが多いのはこうしたところも理由かもですな)
有名な長平の戦いで、捕虜40万人を生き埋めにしたというとんでもない伝承もあり、ものすごく恐れられている将軍ですが、白起の死後、各地で彼を祀る石碑が建てられたそうです。
秦の住民は国のために働いた英雄をちゃんと称えたんですね。白起もきっと喜んでいると思います。
(おしまい)
↓ぽちっとお願いします