お金の話と、ダメな自分。 | あの頃は若かった

あの頃は若かった

50代半ばの生活や仕事、人間関係について書いています。老化や性のこと、心や精神世界のことなど、現在の課題について考察しています。

転職はあれど同業で働いてきた20年足らずの分の退職金は、子どもの結婚祝い×2人分と、無職期間の生活費やクレジット引き落としなどで使ってしまい、残り少なくなってきた。今は解消されているが、無職で障害年金受給中のYさんへの援助が月に数万、それが2年ぐらい続いていたこともあった。もちろん自分が好きでやったことで、全く自業自得なのだが、今思えば本当にすごい金額になる。

 

約1年間風俗で稼いだお金は末っ子の院進学時の入学金や、実習が大変になるので大学の近くの少しグレードアップしたところへ引っ越したので、その引っ越しのお金に消えてしまった。夫のほうが末っ子の家賃や学費、保険など月に十数万を払ってくれている。3人の子育てや大学進学、就活までのお金、そしてYさんに援助したお金を合わせると、軽く外車1台ぐらい買えているのではないだろうか(これは負け惜しみ)。もちろんわが家は底辺層なので、子に関してはお金の部分ではよくがんばったと思う。

 

それにしても、さすがに貯金がなくなるのは不安しかない。

今のマンションを引き払うことも考える。家賃のお金をそのまま貯金すれば、少しずつでも貯金が増えていくかもしれない。でも意識していないと、きっと気が緩んでいつのまにかなくなってしまうお金になってしまいそうな気もする。

 

同じ町に住む長女夫婦に子どもが生まれて孫でもできれば、いつでも手伝えるようにそばにいてやりたいとも思う(まだまだ未定ではあるけれど)。加えて夫が来月から1か月関東圏への出張になり、ならばその間は家に帰ってもいいか、などと思ってしまう。しかしそうなればまた姑の来襲に怯えなければならない。

 

もっと家族や夫に感謝して、自分のできることをしなければと思うけれど、本当にふらふらと遊び歩いて、好き勝手し放題。そういう自分がすごくダメな人間に思える。まじめに過ごそうと思うと、絶妙なタイミングでPさんからお誘いが入る。Pさんは自由人なので(奥さんはいるはずだけど結構自由で謎)、長時間付き合って遊んでしまう。家が気になっているのに断れない私。しかもデート代は私の希望で一部は私も負担するようにしている。Pさんはお金持ちだから「出さなくてもいいよ」と言ってくれるのだけど、食事代とか少しでも出した方が私が気持ちいいからそうしている。きっと根っからの貧乏性なんだろうな。たったの数千円でも、薄給のひとり暮らしの私からしたら1日の出費としては大きい額。ホテル代も無駄のないように時間は気を付けている。だから正直「しばらく会えないかも」(といっても10日ぐらいだけど)と言われるとほっとする自分もいる。でもPさんといると楽しいし、今度いつ誘ってくれるのか気になるし、女としておしゃれや体型維持など褒められたいし、何よりがんばろうと思えるので、モチベーションを上げる存在としては絶対に必要なんだ。

 

どうしてこんな人間になってしまったのかな。夫は私みたいな貧乏神がついていてちょっとかわいそうかも。車のメンテナンスとか地域活動のフォローとかもいろいろやってもらっているし、保険代とか大きいお金は援助してもらっているし、私は夫に頭があがらない。それなのに、自分の欲を満たすために遊び歩いているダメな私。

 

子育てが終わっていてよかった。子育て中は不倫に足元をすくわれなくてよかった。私のことだからこんなふうにのめりこんで、趣味にお金をかけるように男との遊びにお金をつぎこんでしまう。それに子育てがないがしろになっていたかもしれない。もう女としては遅い年齢だけど、今だからまだよかったのかもしれない。