分散の理由 | あの頃は若かった

あの頃は若かった

50代半ばの生活や仕事、人間関係について書いています。老化や性のこと、心や精神世界のことなど、現在の課題について考察しています。

おっさんとは安定している。

相変わらず私の方が放置しているし、電話やLINEもスルーしたりしている、待ち合わせにも平気で遅れていくクズな私だけど、おっさんには私しかいないし、生活もかかっているので、私とは離れられない。私がいないとおっさんの生活は一気にQOLが低下してしまうだろう。私は離婚ができなかったので絶対に一緒にはなれないけど、私にとってもこの世で出会った唯一のかけがえのない人だ。おっさんにはありのままの素の自分が出せるし、欲望も妄想もみっともない姿も全部見せられる。ヒモみたいなもんだから私の方が優位だし、私の方に主導権があることで安心して強気でいられる。

 

おっさんは私に軽く扱われて、私がいなくなると右往左往してしまうだろうけど、働いてなくてお金がないんだからしょうがない。いくら病気(統合失調症)とはいえ、働こうと思えば作業所みたいなところはいっぱいあるし、タバコ代ぐらいにはなると思うけどそれさえしない。社会に出て働けばストレスや恐怖心でよけいに病気がひどくなるのだろうし、施設とかに行ってもたぶん苛められて不適切な対応を受ける。おっさんは支援を受けながらの独居がたぶんいちばん幸せ。

 

私にとってはとんでもない貧乏神なんだけど、お金がからんでいるせいでとんでもなく私の価値を爆上げしてくれる。毎日の「『あいしてる』LINE」や「『声が聞きたかった』電話」は最強で、おっさんにとってはただのルーティンだろうけど、私にとっては必要とされている、愛されているというわかりやすい安心感を与えてくれる。

 

勘違いでも私に人生最大のロマンスをくれたおっさんを、私はどうしても手放すことができない。風貌ももう昔のようではないし、ヨレヨレではあるけれど、やっぱりまだ魔法がとけない。どんな風貌でも「私のいいひと」であることに変わりがない。

 

ただおっさんは社会生活から遠ざかっている世捨て人であるから、私にとってはもうお守りみたいな存在で、私自身の成長のためには物足りない。だから別のちょっと困難なひとに惹かれたのかなあと思う。

 

人は無意識のうちに、自分の魂の成長に必要な出会いを選択しているという説もある。同じような課題を持っていたり、同じような周波数を出している人と出会うという説もある。それを言うとスピリチュアルに寄ってしまいそうなので多言は控えようと思うが、それも一理あるのかなという程度で理解している。

 

いいわけになると思うが、そういう自分を高めてくれる相手が女性だと、どうしても嫉妬やマウントという感情が入ってしまい、そこに留まってしまうことになる。だから私は異性がいいと思ってしまう。だけど異性を惹きつけるような魅力が私にはないから、セックスという手段を介在させている。それだけでなりたっている関係。

 

おっさんとは肌を合わせるのが本当に気持ちいいし、安心する。安心してありのままの姿を委ねられる。きっといなくなると自分の半分がなくなってしまうような感覚。こんなに安心できるあたたかい場所はない。だから失うことができない。