著書”普通の家族にさようなら”は未読ですが、きょうのお話で思い出された映画がある。
ニコールキッドマン主演の”ライオン 21年目のただいま”です。
インドの駅で迷子になり、施設からオーストラリアに養子に出されます。幸せに成長するのでが自分のルーツを探す方法を模索し始め、Googleearthを使い様々なデータとわずかな記憶をたどりながら実の親を探すという実話をもとにした映画。
シーアの音楽とともにとても素敵な映画でした。
養母となったニコールが、”わたしたちは自分の子供持つことができたけれど、それは社会的には意味はなく不遇の子供を養子にすることを選んだ”(私の記憶なので、ニュアンスの違いがあったらごめんなさい)という言葉に衝撃を受けた。
血筋にこだわる日本人(私)には全く想像ですらなかった言葉だった。
養父母は二人の養子に限りない愛情を注ぎ、実母が見つかってからもその愛情のを広げて交流していったという。
家族とは何だろう。
親とは何だろう。
子供に恵まれなかった人がいて、親に恵まれなかった子供もたくさんいて・・・
本当にむつかしいことだが、ジグソーの隙間を心で埋めていければいいなと思う。
4人の子供に恵まれた私が言うのはおかしいのかもしれないけれど。
長い年月、養護施設の子供たちに接する機会があった。
この時代、親がいなくてここにくる子はいないと先生方が言う。
長く話していると、みんな人懐こい。
それが悲しくなる。
小さい子は、ここの子になりたい・・・とつぶやく。
胸が痛いね。
ぎゅっと抱きしめることさえ無力で、罪悪感を覚える。
結婚 妊娠 出産そして家族の在り方も変わってきたが、子供は大人のためにあるのではないことは確かだとおもう。
大人が子供ためにあるのだ。
五味太郎さんの講演で、子供は大人のミニチュアではない。子供の世界に土足で上がってはいけない。という言葉を思い出した。
64歳になった私があえいでいる子供たちに何ができるのだろう。
すべての子供たちがそれぞれに場所で幸せでありますように。